タイトルの言葉は、私が東北大学の栗原先生からITC Sendai 2019の会場でお会いした時に、言われたものだ。この言葉をかけてもらった時、正直に言うと、複雑な気持ちになった。女性であり、教授であり、表面力測定の第一人者である憧れの栗原先生に声をかけてもらうという喜びはもちろんだが、自分自身これまで化学系の研究員として曲がりなりにも15年以上(間、ちょこちょこ脱線したが)研究に携わってきた中で、感じてきた焦りがある。はじめに就職した会社の同期や後輩はとっくに主任研究員以上になっているだろうし、学会でも活躍しているのを見かける。
「◯◯の分野の第一人者になる」とか、「◯◯のことはこの人に聞け、と言われるような人になる」とかいうのは、自分自身のキャリア形成において表明すべき意志のようなもの、としてよく聞くフレーズだった。通常の業務の他に、こういった自身のなりたい姿(当然、業務の内容に関連しての)、みたいなのを描かされるのが本当に苦手だった。やっていることに興味が持てなかったからだと思う。もう一つの大きな点は、働いている環境が、上司や同僚、後輩のほとんどが男性の職場で働いている女(=私)にとって非常に居心地が悪かったことだ。メンター制度というのがあって、ロールモデルとなる人と話す機会をもらうけど、それもおじさんだった。基本的に日々、軽いセクハラを受け続けている状況なので、おじさんをメンターとして信用して腹を割って話せるわけなんかない。その当時は今みたいにはっきりハラスメントをハラスメントと認識できる知識もなかったから、自分にできることは…と必死で仕事やキャリア形成をこなそうとしていたけど、どんどん精神的にはしわ寄せが来ていたと思う。女性の少ない職場ということで、会社主催で女性同士の交流会もたまにあった。今考えると、これも全く私には意味はなかったな。参加するのは億劫だった。みんながみんな同じ思いでその女性の会に参加してるわけではないからだ。まあ当たり前なのだけど。ある人は少ない女性同時仲良くしようと単純に後輩を思いやってくれた。ある人はさらに女性の少なかった頃から頑張ってきた自負からか、我々後輩の頑張りはまだまだ足りないと言いたそうだった。またある人は、こういう環境では女性であることを効果的に使っていくべきということを言っていた。ある人は色んなハラスメントに疲弊しつつあるけど、今度同室の主任研究員と結婚することになったと嬉しそうに話していた。当時の私は、この女性の会では、救われることはなかった。周りを気にせずに自分は自分という意識を持ってやっていく強さもなかった。思えば、ここで働いていた10年弱、いつも人間関係のことでモヤモヤしていたように思う。
話が少しずれた。こんな中で、私は〇〇になりたい、なんて目標を掲げるのは、fakeだと思った。〇〇になりたい、以前に、私は私の人生をもっと思い通りに生きたい。最近になって、これをやっと言語化できるようになった。思えばこの頃、全てのことに苛立ちを感じていた。コップが満タンになってこぼれたので、私はその会社を辞めた。
あれから、7年くらい経つ。私は何になりたいのか?と考えたり、答えが出ないことに焦ったり、興味のあることに没頭してみたりしてきたけど、やっぱり何になりたいのかは分からない。でも、何になりたいか考える必要はあるのかな?と思うようになったし、そもそも何者かにならないといけないのだろうか?好きなことでも没頭したいことでも、それをなんて呼ぶかなんでどうでもいい。なんかやり続けてたら、行き着いてしまった、それでいいのじゃないかな?それが何者かになっていた、という場合もあるんじゃないかな。
私は主体性を持つのが苦手。決めるのが苦手だし、頼られるのも苦手。できれば大多数の中に埋もれて、長い列の真ん中あたりを誰かにくっついて前に進んでいきたい人なのだ。でも、生きていると、実は一人で歩いてるんだということに気づく。気づいたら、わーってなる。けど同時にここまでも歩いてきたんだから、これからもなんとかなるかも?とも思う。
栗原先生が、私に声をかけてくれた時の、真意はわからない。先生はきっとご自身の研究に没頭されて、そこに全てをかけるくらいの熱意を持てることを見つけた(あるいは熱意を持って取り組むと強く決めた)、それが何者かになるベストルートだから、何かを成し遂げたいならそうしなさい、という意味で、研究に関わってるんだから当然そう思ってると考えられたのかもしれない。ただ、先生は、「何者かになりなさいね。研究じゃないといけないわけじゃなくてね。」と私に言った。
きっと、私にはまだ思い当たらない、何かを先生は私に伝えてくれようとしたのかな、とも思う。この4月から、私は研究を少し離れて、「人にわかってもらうように伝える」ということに日々時間を費やすことになる。研究でももちろんそのような観点は必要とされるけど、それは研究(コンセプト、計画、実験、データ整理、考察など)がまずあって、それを対外的に発表するという二次的な要素であった。これからはそれが私のメインになる。これまで続けてきた研究を離れることは、「何者かになる」ことからは遠ざかってしまうのかもしれない。でも私は、私の持つ要素の一つを強化して、それがまた全体としての私を大きくして、また一歩、何者かに近づいてくれたらいいな、そうならいいなあと思っている。
コメント
コメントを投稿