前回からえらく間が空いてしまった。というのも4月1日から新しい仕事が始まって、新しい環境に慣れることを第一に考えていたので、家でパソコンを開いて自分に向き合いながら考えを文章にする時間を取れなかったのです。
新しい仕事は、Public Relations(PR)、と言われるような業種です。これまで曲がりなりにもやってきた研究とは全く違う。なぜそんな全く畑違いのところに?と母や叔母、同僚の1人には聞かれた。そもそも私は大学院を出て入った神戸製鋼所を辞めてから、実はそんなにずっと研究一筋ではなかったのです。神戸製鋼所はR&Dにいたけど、その後約半年ワールドドーナツツアーに出て、帰ってきてからはドーナツベーカーだったし、その後は派遣で大阪ガス子会社で研究員として働いていた。派遣会社というシステムのコンセプト自体がいけ好かなく、半年くらいで辞めたいなと思っていた矢先、神戸製鋼所時代に共同研究をしていた大学の先生に拾ってもらって技術補佐員という名の研究員にまた戻った。
私は修士を持っているが、博士号を持っていない。そうすると、研究員として働く時、選択肢はだいぶ狭まるのである。大学の研究室では教員にはなれない。求人票には博士号は必須とある。修士は技術補佐員として、事務補佐員と同じ最低賃金に近い時給でのポストくらいしかない。私の場合は、その大学の先生が少し考慮してくれて、時給を上げてはくれたが、5年働いて、その5年が単純に何かキャリアアップにつながるということはない。なので、5年を過ぎる頃、やはり先のことを考え始めた。先生は、契約期間が終わりそうになると、「あまりお金は潤沢にはないから、たくさんあげられるわけではないけど、半年なら延長できるよ」みたいな感じで次のことを話してくる。考えてくれているのはわかるけど、「雇ってもらってる感」が強くなってきて、嫌だなと感じていた。それが博士を取る過程なのだとしたらまだよかったのかもしれないけど。一応、論文は1報書いた。大きなプロジェクトに参加でもできれば、また1報、またまた1報と増やしていけるのかもしれないけど、そんな若いわけでもないから、何年かかるのという気もした。そんな時に、今の仕事の求人を見つけた。研究機関のPRで、理系の女性向け、とのことであった。これだと思った。
実は私は神戸製鋼所にいた時も、たびたび「自分のキャリア形成」を描かされていたのだが、企業のR&Dで研究を続ける自分が思い描けなかったので、いつも「技術営業」がしたい、と言って、その度上司に「そうじゃないでしょ、この技術で第一人者になって、主任研究員になって、その後はなんたらかんたら」と言われていた。
私は研究は好きだけど、多分いわゆる研究者タイプじゃないんだと思う。興味が散らばりやすいし、冷めやすいし、熱しやすい。何か1つを究めたいとももちろん思うけど、それより色々やってみて自分の幅を広げる方が楽しそうだなと思ってしまう。それは私の性格だから仕方ないかなと思えるようになった。昔はなんでこんなに研究に興味が持てないんだろうと悩んだこともあったけど、1つのことに留まれないのだと思う。私は私の幅を広げたいのです。これまで培ってきたことを生かしながらも、自分の持っていないところ、弱いところを強く、広くしていきたい。
なんかあちこち話が飛び過ぎたけど、PRでなんとかやっている。おおよそ、周りの人が何をやっているかを1通り見て、やり方はわかるし、やることもとても単純で簡単だと思うのだが、しきたりとかこれまでのやり方などがあって、それをどうしても踏襲しなければならず、私1人で勝手に進めることができない。そこがもどかしいこともあるし、しんどいこともあるけれど、PRってのはそういうものなのだろう。違うか、その職場がそうしているからそうなのだろう。研究でもグループで進めるところもあるだろうし、場所によるのだろう。先日、やっと1つの業務のメインを任された。自分では2ヶ月も経って、なんとかではあるけど、しっかりやっているつもりでいた。だが。金曜にある部署の人から、さっきの打合せで話していたことを忘れてしまった、◯◯についてどんな話をしていたか覚えているか、と聞かれ、しっかりメモっていたので、ここぞとばかりに返事をしようとしたのだが、上司にとりあえずメンター的な先輩とマネジャーに聞けと言われてしまった。急激にどんよりモードになった。私のメモが信用ならんというのか、と思った。マネジャーに確認をしたら私のメモのとおりだという。先輩に聞いてもそのとおりという。私のメモが正しいことは証明されても、もやもやは止まらない。
第3者は、こういう。個人的なものと捉えるな。おそらくそうだと思う。私は、まだまだ新参者。PRの経験はない状態で入ってきた。初のメイン担当とはいえ、慎重に進めて欲しいのだろう。間違って問題が起きるよりは、慎重になり過ぎてもなり過ぎることはないということなのだと思う。しかししかし。そういう問題ではない、と私は思う。それは人間のセンスの問題だなと思う。おそらくだけど、慎重になった方がよいのはそりゃよいけど、「えーい、行ってしまえ」という人と「そこはやっぱり慎重に」という人がいるのだと思う。そこは私は「えーい、行ってしまえ」が好きだな。根拠のない、自信ということとはまた話は別ですよ。
私も歳を取って、だいぶ鈍くなったな、と自分で思う。たいてい寝ると、痛みが弱くなる。2日も経つと、ほぼ痛みを感じない。図太くなったというのもあると思うけど、人との出会いと緑と食べ物と音楽とに、自分がどれだけ助けられているか、認識できるようになったからかな、と思う。つい数年前は足が地についている気がしてなかったけど、そんなふわふわした感覚は少なくとも最近はもう、ない。
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