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あぁ 昼も夜も 泣いてしまうよ 悲しさじゃないんだよ

 あなたから着く 文字列は

「不思議の国のアリス」みたいに読むパズル

引用: 小沢健二「運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)」


 …今更ながら、本当に今更ながら、小沢健二の2017年以降の作品を少しずつ視聴している。TwitterもIGも利用しているようで、本人の言葉が聞けるのは、何でもかんでもインターネットで情報で情報を見失う現代に少々うんざりしている私でも嬉しいと思う。

 オザケンを知ったのは、1994年。きっかけは、寝る前に暗くして布団の中で聞いていたAMラジオだったと思う。corneliusの「太陽は僕の敵」を聴いて衝撃を受けて(オザケンちゃうんかい)、その頃は情報源は雑誌しかなかったので、近くの本屋さんで音楽雑誌を立ち読みして、どうやらその人は少し前までフリッパーズギターというバンドを小沢健二という人と二人でやっていた、ということを知った。それがオザケンと私の出会い。

 私はその頃、フリッパーズで言えば小山田派だったと思うし、ファッションや音楽性、雑誌のインタビューなどを読んでいても、うん、小山田だな、と思っていた。でも、同じく94年に出た「LIFE」は、私の"ちょっと待ってなんて知らない"感じで、私のその時の生活をガラッと変えてしまった。中学生なんてまだまだ子どもで、歌詞の意味もよくわからないのに、なんだったら少し気持ち悪いとすら思う歌詞もあったのに、それでも繰り返しCDをスタートさせて最後の最後まで大声で歌い続けずにはいられないようなアルバムだった。

 私の主要軸はそれでもcorneliusであるべきと、思い込んでいたので、なぜか素直にオザケンを好き、と周囲に表明したことがなかったが、私はオザケンも好きだったのだ。今更ながら、だが、私の人生における本分はオザケンとともにあるべきだったような気がするのだ。

 前置きが長い!

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 久々にオザケンの名前を聞いた。2017年のことか。ミュージックステーションに出ているのを、飛行機が遅れて待っていた成田か羽田の空港で観た。懐かしい、と嬉しくなったが、私をその世界に呼び戻すまでにはならなかった。

 2021年、また名前を聞いたが、どうやらスキャンダル的なことが絡んでいるようだ。なので見ないようにした。

 2022年、corneliusの昔のロッキンオンジャパンの記事が悪い意味で明るみに出た。それを読んで中学時代を過ごしたので、人ごとではなかった。それがきっかけなのかどうか、きっかけの一つではあると思うが、昔の自分の色々がごちゃごちゃになって出てきて、同時にあの頃は(色んな理由があって)聴けてなかった音楽を聴きたいと思った。色々思い出して考えて、今、私が聴きたいのはやっぱりオザケンだと思った。

 さらに前置きが長くなってしまった!!

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 冒頭で引用した曲。歌詞が可視化(!)されているmusic videoを初めに観たからなのか、歌詞の言葉がストンストンと入ってくる。こんなストレートな歌詞をたくさんの人が聴くような曲にしてしまうのがオザケンなんだな。ある日のオザケンの頭の中を、見せてもらってしまった。と思って焦った。いや、嬉しくなった。この一句一句を感じて言葉にしているオザケン"の可愛さ"。私は目眩はしないが、震える。

 この"姫さま"がどなたであるのか、そこは気になるところではあるが、そんなこと気にしたところで私にはどうしようもないのだ。ファンとアーティストだから、ってことかもしれないけど、それ以前に、(急に話が漠然とするけど)人にはそれぞれ人の世界があって、その世界の中での人々の関係は、その関係において外部である者に対しては詳細を説明する必要もないし、外部から干渉を受けるなんてこともありえないから。

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 とはいえ、私は妄想をする。"姫さま"はスキャンダルの相手、なんてそんな俗っぽいものじゃない。歌詞で表現されている形容が全てだ。本当に愛しく思っているんだな。言葉や言葉の使い方、のようなものに、とても敏感なオザケンが、"言葉遊び 負けそう"で"あぁ なんてことだ"とまで言わせる"姫さま"…(!!)生きている、という感じがします。

オザケン本人によるリリースに関するtweet


登戸のあたり多摩川

 以前の私なら、面白くなく感じてただろうけど、そんなこと思ってもそれは仕方ないことだって今はわかる。それを否定したり面白くないと言うのは、私が今好きだと思っているまさにそれを否定していることになるのではないか?私はオザケンの紡ぐ言葉が好きだし、音楽が好きだし、歌も好きだ。公開されているすべての物を見ていないのではっきりはわからないが、どうやら政治的な観点(別に政府がどうとか、どの政党がどうとか、そういうことではなく)も(そこまで強くはないが)表明しているところも同じ大人として支持できるし、SNSの使い方もいいなと思う。そしてそういう諸々はオザケンの日々の暮らし、日常から出来上がっていることは確かだし、そうであって欲しい。

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 共感なのだろう、大人としての。私には子どもはいないが、別にそんなことはどうでもよい。人として誰かを愛しく思う気持ちとか、日々生きていくこととかについての。いい時代だなあと思う。インターネットがなかったら、それはそれでよかったかもしれないが、やっぱり今は今のよさがあると思う。そして私は30年前に発揮できなかった自分の無邪気さと強い思いと活動力を取り戻すかのように、毎日を生きるのです。この世界にオザケンがいてよかった〜。

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