突然だが、今日、97年の6月に発売されたPizzicato Fiveの「ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド」のアルバムを聴いてみようと思い立って、聴いてみた。
タワーレコードのPizzicato Five/ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド のページ
このとき、私は高校3年だったらしいが、94年の「Overdose」、95年の「Romantique 96」がとっても好きだったので、もちろん待望のニューアルバムだったしすぐに買って聴いたけど、私はPizzicato Fiveのmelodiousでjazzyなところが好きだったので、どちらかいうとドラムが多用されてエレクトリカルパレード的になりつつあったところとかHip Hop的な要素を多く取り入れた(あまり音楽について詳しくないので、間違っているかもしれません。)この作品は、サンプリングが繰り返し出るのとか、どちらかいうとちょっとうるさいな、という感じでそこまで好きになれなかった。
その結果、私のPizzicato Five熱は3年くらいで落ち着いてしまうことになるのだが...。
そんなことはどうでもよく、約26年ぶりに聴いてみて、思っていたほどうるさくなく楽しめてしまった。きっとあれからHip Hopとか聴くようになり、繰り返されるサンプリングをむしろ楽しく思うようになったり、懐かしさとかも相まってなのかもしれないけれど。
だから元々、このアルバムの最後から2つ目の曲、『私の人生、人生の夏』はメロディが綺麗で、まあまあ好きだった。でも実はKahimi Karieのヴァージョンの方が当時は好きだった。Kahimi Karieの唄い方を全然好きになれなかったけど、この曲は彼女の方が合っている気がしていた。それもそのはず、野宮さんはおそらくハッピーに唄うように、と小西さんに言われ...たかどうかはわからないけど、きっとそういうことなんじゃないかなと思っている。悲しいけど、ハッピーな曲調とか、そういうのを小西さんが当時、かそのあとか、どこかで話していたような気がする。全部適当な記憶だけど。その野宮さんのハッピーさ(と野宮さんの都会的な、あの、なんともいえない素敵な声)がこの曲には合っていない気がしていた。今思えば、このハッピーさがどうしようもなく悲しい感じがするのだけど。
またその当時、Kahimi Karieは実際、小山田を離れてパリに移住するということを公表していたので、その印象が重なるところがあったのかもしれない。
最後の曲の
La la la la...happy ending
La la la la...happy ending
がハッピーに、そして切なく響く。私の中では、ここがPizzicato Fiveの(あるとしたら)第何章かの終わりで、それと同時にこれ以前の数年のイメージのPizzicato Fiveは終わったのだと思う。momusが今から数年前に長年暮らした日本を離れてパリに移住した(戻った、かな)。その前の夏にベルリンを旅行中、長年連れ添ったパートナー(一緒に旅せず日本に残っていた)から、『Happy endingがいい。』とe-mailが届いたという。そんな話が頭をよぎって、より、切なさが増した。
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