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'ある光'で始まる'Spellbound'な'Voyager'の'岬めぐり'、'TUNE UP'して'ローラースケート・パーク'で見た'天使たちのシーン'

 まとまらないけど、書きたいとずっと思っていたことを、まとまってから書こうと思っていたけど、おそらく絶対まとまる日が来ないので、もう書いてしまえと書いてみることにした。まとまらなさは、タイトルを見てもらえれば一目瞭然であろう。(2023年3月12日)

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 今日久々にまた「犬キャラ」を聴こうという気分になった。すっきりしない天気が続いた後の貴重な雨じゃない日の土曜の朝という複数の条件が揃ったせいだと思う。それでふと気づいた。前からなんでかなと思っていた。私が誰かの創作物(音楽でもmovieでも写真でも文章でも建築物でも絵画でも)を見たときに、"うっ"となってそれ以上見ないようにしてしまうこと。拒否反応のようなものを示すこと、なんでかと思っていた。私はどうやらアウトプット側(できてるかはさておき、どちらかというとアウトプットしたい、という意味で。)の人間のようで、誰かの創作物を見たときに、自分の創作欲が刺激されるが、それを表現するために十分な状態じゃないと思うからなんだと思った。そんなこと、誰も期待していないのに。十分でないものはない、それで良いのに。でもアウトプットするには、当然インプットがなされていなければならない。と思う。(2023年6月10日)


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 私は「LIFE」が発売された当時から『ぼくらが旅に出る理由』がお気に入りだった。そういえば、父のDVや母の過保護など、それなりにしんどい子ども時代を過ごしたと自分では思っているが、そんな中でも車で毎年、どこかに旅行に連れて行ってくれたなあと思い出す時は車中の楽しかったことなどが蘇ることがある。楽しかった、と言っても乗り物酔いしやすい私が母の膝の上で(今なら考えられない危ない状態と思われる。)イカフライのお菓子を食べてしまって、ひどく嘔吐し、カセットデッキを壊してしまったこととか、後部座席で姉と座っていても高速道路ではこれでもかとスピードを出す父の運転が怖すぎて、どうせ死ぬなら寝ている間に気づかないうちにしてほしい、と寝て(気を失って?)いたこととか...。

 そんな中聴いていた音楽だからか、記憶に残っている音楽がある。

 2023年の2月に、初めて「犬は吠えるがキャラバンは進む」を聴いた。『天使たちのシーン』はその、高田みづえの『岬めぐり』を私に思い出させた。

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 この曲のミドルテンポ感、ドラムとベースが、これまた中高生のときによく聴いていた山下達郎のサンデー・ソングブックで流れる『あまく危険な香り』を思い出させてくれるのもいい(今はもう山下達郎の曲に対して以前のような気持ちにはなれないが)。


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 そして、童謡『グリーングリーン』を思い出させる、短めのメロディのまとまりの繰り返し、何回かの繰り返しによって徐々にこの『天使たちのシーン』のクライマックスが近づくのを感じさせた挙句の、オザケンの"カモン!"がなんともいい。じんわりと脳に麻酔が効いてくる。

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 この数ヶ月、何をしていたかな。少し生活の時間帯が変わって、それに慣れるのに、まず体調不良が多かった気がする。あとは、少し前から続いている家族の問題。それは普段普通に暮らす中で向き合っていく必要があることと改めて認識したこと。あとはmomusがgirlfriendと日本に戻ってきて(旅行でだけど)、私も知っている大阪周辺の街並みをTumblrに載せているのを見たりして感慨(なのかな?)深かったこと。別にどちらか、はっきり決める必要なんてないということ。必要性は自分側の問題。他者(自分以外の事象という意味での。)に対して決めつけてしまわないこと。ただ、自分をまず尊重すべきこと。ソーシャルディスタンス(phisicalとmentalと)は必要であること。

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 全くまとまりないが、私にとってオザケンは私の持っている'エネルギー'を対外的な'力'とするのに必要な機動力である。30年経って、初めて「犬は吠えるがキャラバンは進む」を手に取って、聴いてみてよかったと心底思うのです。(2023年6月10日)


ブギーバックマンション(2023年5月14日)



 真珠色の雲が散らばった空に 誰か放した風船が飛んでいくよ
 駅に立つ 僕や何人かの人が行方を気にしている

 いつか誰もが花を愛し歌を歌い
 何千回もの なだらかにすぎた季節が 僕にとっても愛しく思えてくる

 愛すべき生まれて育ってく 君や僕を繋いでいる緩やかな

 大きな音で降り出した夕立の中で 子どもたちが約束を交わしてる

 真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン

 あてもない手紙書き続けている彼女を
 守るように 僕はこっそり祈る

 ささやかな 本当の言葉を紡いでいる僕は
 生命の熱をまっすぐに放つように 雪を払い跳ね上がる枝をみる
 太陽が次第に近づいてきてる 横向いて喋りまくる僕たちとか
 甲高い声で笑い始める彼女の ネッカチーフの鮮やかな赤い色

以上の斜体文字の箇所、出典: 小沢健二『天使たちのシーン』から抜粋

コメント

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