気づいたらもう1ヶ月も経っていたのだけど、2023年10月2日、オザケンのライブ(講義と演奏)に、行ってきました。会場は渋谷公会堂(今はLINE CUBE SHIBUYAが正式名称のようです)で、収容人数が2000人以下ということもあり、倍率は高かったと思われますが、運よく当選しました。しかも実は、初めてのオザケンライブ体験だったのでした。
https://l-tike.com/concert/ozknut/
開演は、数分遅れたけどほぼ18時で、終わったのは21時15分頃。オザケン、エネルギーありすぎる。ちょっともう詳細を覚えてないけど、2時間くらいぶっ通して話してたんじゃないか。所々に新曲の『ノイズ』を唄ってくれて。その後バンドが出てきて、何曲かやってくれた。『薫る(労働と学業)』と『強い気持ち・強い愛』と『運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)』をやってくれたのは覚えてる。むっちゃテンション上がったもので。
覚えてることをまとめてもそんなに意味はないと思うので、前半の講義を聴いて、私の思ったことを、書いておこうと思う(長文スマソ)。
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オザケンと私
私のオザケンとの出会いは、フリッパーズギターを通してだった。フリッパーズはすでに解散して小沢健二はソロ活動をしていたので、試しにレンタルCD屋さんで売っていた『天気読み/暗闇から手を伸ばせ』のシングルを買って聴いてみた。
当時中学生で、音楽といえば、ベストテンや土曜のラジオ大阪の歌謡曲カウントダウンとかでアイドルの歌を聴いていたので、なんやこれは、と思った。フリッパーズやコーネリアスを聴いた時も、確かにこれまで聴いたことないような音楽だと思っていたけど、『天気読み』は、聴いたことないような、でも何か知っているような、そんな感じだった。今思えば、フリッパーズとコーネリアスを聴いて、ある程度、普通の日本の歌謡曲には当てはまらないような感じの音楽が世の中に存在することを知って、ある程度、小沢健二というアーティストに期待するイメージみたいなものが私の中に既にあったものと思う。だから、そのイメージを裏切ったということで、聴いたことないような気がして、でも実際はもっと私が慣れ親しんできた歌謡曲的だと感じたことから、何か知っている気がしたのだろう。
『天気読み』の、雨の降った翌日のすっきりして、でも湿気を帯びた朝のようなじっとりした感じと、『暗闇から手を伸ばせ』の、からっとした明るさの中にある暗いものが、ジャケットの小沢健二の表情と混ざり合って、それが後々私のオザケン像の元となるものになったと思う。その後、90年代半ばの高校生という多感な時期を、「LIFE」、「球体の奏でる音楽」という2作品を夢中で聴いて過ごした。音楽的な表現は毎回変わるけど、オザケン像そのものは音楽に伴って変わるというわけではなくて、作品、インタビュー、テレビでの振る舞いなどを通して、そのたびに更新というか新たな面を知っていくという感じだった。
『天気読み』の時は中学生で、手に入れられる情報は、経済的にも技術的にも、精神的にも、限られていた。ただ世の中には自分が知り得る以上の情報が存在し、常に排出されていることを知っていて、全て知ることはできないと焦る気持ちがあった。そのことがしんどくて、逆に情報から自分を遠ざけようと、好きな音楽やインタビューの載っている雑誌をわざと手に取らないようになり、その結果、私の2000年前後は、巷に溢れていた情報をJ-popで埋め尽くされた。
講義中、オザケンの発した「情報イナフ」、という言葉は、その中学生~大学生にかけての私のオザケンファンとしての経歴における憂鬱さを瞬時に思い起こさせた。そして今あの瞬間にあの場所に、きっと同じようなティーンエイジを過ごしたかもしれない人々と共に、オザケンが同じ空間にいるということを、噛み締めたのである。私のオザケンファンとしての経歴の続きが、本当の意味で再開した瞬間であった。
歳をとった今なら、ある程度はわかる。自分の欲しい情報を手に入れれば、それでいいと。パソコンやスマートフォンが当たり前の世の中では、すぐに情報が手に入る。考える前に手がもう動いて検索している。しかし、自分が得たと思っている情報の出所が曖昧であることも多々ある。さらに、どうやったって見つけられない情報というものもある。手に入れられる情報のリストの中から、我々は選ぶしかできない。
小沢健二の講義の内容、私はダメな生徒で、ノートも取らなかったから、あまり覚えていないけど、「作詞する時、言いたいことを削らないといけない(もっと肯定的な表現だったかも)」みたいなことを話していた気がする(あるいはどこかで読んだのかも)。それを聞いて、ああそうかと思った。作詞をする人は、メロディに乗せるために、ブワーッと出できたものを整えて、削る=情報を取捨選択するという作業になれているのかもなと思った。
結局たくさん情報が存在しても、私の頭の中に保存できるのは本当に少し。中学生の時、取捨選択して手に入れたオリーブの雑誌に、うろ覚えだけど、フリッパーズギターの2人のお気に入りの場所として、下北沢のカフェTのことが書かれてあった。とても小さい記事だったけど、私はそれを切り取ってファイルして、揖保乃糸の木箱に保管した。今も実家にそのままある(はず)。
私にとっての情報というのは、そういうことかな、と思った。もしかしたら、このカフェの情報について、私は間違って覚えているかもしれないし、もう実家の私の部屋の押入れにある揖保乃糸の木箱には、ないかもしれない。でも私がオザケンについて考えるとき、いろんな切ない思い出と共に、その記事のことを思い出して、じんわりと温かい気持ちになるのである。
情報に踊らされるという意味では、オザケンの『それはちょっと』にある歌詞と、その頃のオザケンのプレイボーイ然とした振る舞いについての(それこそ、本当のことは本人とその周囲にしかわからないし、我々が知る必要のない)メディアによる報道、私自身、多感な高校生だったことが相まって、オザケンはちょっとやっぱりいいとこのご子息で高学歴で、ちょっと嫌なやつなのだと私の中で結論を出してしまったこと。そのせいで世の中を騒がせたらしいオザケンが表舞台から姿を消すという事件はなんとなく知ってはいたものの、2017年まで、ほとんど思い出さなかったと言ってもいい。このたび、小沢健二の追講義なるものが開催されることを受け、喜び勇んで、そのことを母に伝えたとき、「あんたオザケンいけ好かんて言うてたやん」と言われてしまった。
唐突だけど、TMIという言葉が英語にある。Too Much Informationの略だが、そのまま訳すと「情報過多」。でも日本語の情報過多というと、情報が多すぎてうまく処理できなくなる症状のことをいうようだ。同じく英語でもただ情報が多い=情報イナフ、という意味だけではなく、「知る必要のないこと」という意味で使われることもある。かく言う私が時々アメリカ人に言われるのである。「お手洗い行ってきます。あ、時間かかると思う。」「T.M.I.(そんな詳細について言わなくていいよ。)」…みたいな感じである。
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