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KANのこと

  KANが亡くなったということをXで知った。今年の3月にガンを発症したことを報告していたということだった。そういえばなんとなくどこかで読んだ覚えはある。私にとって、そのくらいの感じだった。訃報を聞くまで忘れてしまってた。

 11月17日に、亡くなられていることが公表され、私もあらま、と思ってXでコメントした。と言っても、直接、死について述べたわけではなくて、私の好きなKANの曲をApple Musicを通してシェアする形で、その曲に関する感想を述べた。

 私の中のKANはずっと『愛は勝つ』だった。もしくは『必ず最後にチキンカツ』だった。それが『丸いお尻が許せない』というタイトルの曲によって、当時、多感な時期の女子小中学生であった私にとって、「なんか好きになれないアーティスト」に位置付けられることになってしまったのである。また、同時期に『まゆみ』という曲もヒットしていたと思う。私の極めて個人的な事情によるが、この名前が好きではなくて(実の叔母さんの名前でもあるが、それは全く関係ない)、その「好きになれない感じ」が余計に増したのである。歌詞も読んだこともないのに、である。

 約30年越しに、『丸いお尻...』の歌詞を読んでみて、やっぱりダメだった。私の直感は当たっていた。気持悪い。でも、当時の風潮(と呼んで、問題を小さくまとめてしまいたくないが)をすっかり表しているような、そんな感じがして少し懐かしくも思った。でもよくよく考えてみると、日本の男性のアーティストについては、その気持悪さを全く感じないような人はいないと思う。それが理由で、ずっと好きとか聴き続けるような人はいなかった。KANの影響を受けたと公言しているアーティストはたくさんいる。訃報の後、いろんな人が追悼していて、そんなところに交流があったのかと驚くとともに、KANの曲を今更ながらApple Musicで聴いて、この曲はあの曲に似てるなあ、みたいなことが多々あることに気づいた。

 上述したように、小学生のとき、山田邦子の番組で聴いていた以外に自分からKANの曲を聴いたことはなかった。10年くらい前、まだApple Musicがなくて、手元にCDがなくて、あの曲聴きたいーみたいになった時、Youtubeがとても便利だった。その時にMr.Childrenの桜井さんがap bankかなんかのライヴでKANの『プロポーズ』を歌っているのを聴いて、なんといういい曲かと思った。歌詞には若干引っかかるところがあったのだが、それを入れて計算しても余りが出るくらいのメロディの美しさ。私と似たようなフェミニズム的観点がある人ならわかってもらえると思うが、ミスチルの歌詞も時々結構気持悪いので、それを歌う桜井さんにもいい印象はない。その桜井さんが歌っていて、なんといい曲!と思ってしまったのだった。

 改めてKANの『プロポーズ』を聴いてみて、何がそんなに嫌だったんだろうと考えたけど、何もひっかからなかった。10年前といえば、私もいろいろあってこじらせていた頃だったから、ひねくれた捉え方をしていたんかなと思う。

 今聴いてみて、KANの人柄が溢れる(のかどうかは、ファンでもなかったし、個人的な付き合いもないので全くわからないが)とっても優しい歌詞ではないか。私も若かったから、いろいろ突っ張りたかったのかな、と思った。

 そんないちゃもんをつけてはいたが、この曲は特別に思っていた。訃報を受けたその日に久しぶりに聴いて、それから、そうかあのKANが亡くなったのか...と日に日に実感を強めているという感じがある。インターネットで検索して出てくるインタビューなどを今更ながら読んでみて、周りの人に及ぼした影響の大きさを知る。素敵な人だったんだろうなあと思う。

 普段、芸能人の訃報を聞いても、そもそも身近な人ではないので、そんなに何か思うことはあまりないが、KANについていろいろ思ってしまうのには、やっぱり私が音楽を聴き始めて、すごく辛かった小中高校の時代を救ってくれたものだから、その時代のど真ん中にいるKANが私の人生に影響を及ぼしていないわけがないからだと気づいた。

 いつも同じようなオチになって申し訳ないが、最近特に実感することがある。すぎてからでは遅いということである。いや、表現が逆で伝わりにくいな。言いたいことは、今を精一杯生きるということである。言い換えれば、今その瞬間を噛み締めながら、よいことも悪いことも、「厄介なこと面倒なことぜんぶ含めて」楽しむということである。

 KANのこと、ほぼ何も知らない私が言うけど、亡くなる少し前に大好きなフランスに行かれたこととか、フランスが大好きで一時期居住していたこととか、大きくないコンサートホールも含め、日本のあちこちに向いて地道にずっと活動を続けていたこととか、本人ではなくて、周りの人が追悼で話しているのは、素敵なことだと思った。秦基博がいち早くラジオ番組でKANについて自身の思いを語っていて、それで紹介した曲、『よければ一緒に』を聴いてみた。こういうのをじわじわくる、というんだと知ったくらい、じわじわくる。数曲しか知らなくても、30年来のファンじゃなくても、じわじわじんわりする。もう1曲、私の好きなKANの曲になった。

 好きになれないものはもちろんあるだろうけど、それはどんなものにだってそうなのだし、一つ嫌いで全否定する癖は、もうやめておこうと思った。KANのおかげで、90年代以来、聴けなくなっていた、あの頃の音楽をまた聴く機会を得たし、無理に聴くんじゃなくて、聴きたいと思えるし、懐かしくもあるけど、たくさん新たに気づくこともあって、不思議な素敵な感覚がする。

 今年も、街にクリスマスソングが流れる、私のちょっと苦手な時期が来た。いつもなら顔をしかめてしまう私だけど、今年はもうちょっと素直になってこのシーズンを楽しく過ごしたいと思った。なんか変だけど、KANからプレゼントをもらったような気分になった。

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