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2つに分かれたストーリーか、紺色のマフラーか

 タイトルは、ある二つの曲の歌詞に出てくる言葉です。一つ目は1993年9月1日に発売されたcorneliusの『THE SUN IS MY ENEMY 太陽は僕の敵』で、二つ目は1992年1月29日に発売されたKANの『こっぱみじかい恋』。  私は、1993年の9月頃に、眠れなくて聴いていたラジオで上述のcorneliusの曲を聴き、衝撃を受けて、cornelius、そこから派生して、Flipper's Guitar、小沢健二、pizzicato fiveとその周辺のartistsを聴き始めることになります。  そういう年頃だったこともあり、当時の私はひねくれていて、雑誌のインタビューなどで見るcornelius=小山田圭吾の「世の中を薄ら笑いを浮かべながら眺めているような態度」に、不幸にも、共鳴してしまい、どんどんそういうattitudeを強めていってしまった。  今となっては、その「世の中を薄ら笑いで眺めてる」のように(実際の表現はちょっと違うかもしれない)表現されやすい小山田のイメージは、メディアが作り出しているもので、私たちは、その小山田像を崇めていただけだった、と思う。  でもそんなこと、他のどんなアーティストだってそうだし、言ってしまえば、自分ではない人に対してなんてみんなそう。自分の中の勝手なイメージがあって、それを正としてしまうというか、正として進めないとどうしようもない。  いつものように、横道に逸れ始めたので戻ります。 それで、勝手な小山田像が私の中で独り歩きし、とにかくJ-popヒットチャート上位にあるような曲をよいというのはちょっとダサい、みたいな精神で10代の後半を過ごしてしまった(実際はそういう曲も聴いていたし、カラオケでも唄っていたけど、心意気として)。そんな経緯で、私の消費者としての音楽史は、93年までの素直な小中学生の時間軸と、93年以降のひねくれた時間軸というパラレルワールドが出来上がってしまった。とはいえ、実際は素直な小中学生時間軸は、93年で一時休業状態になっており、2023年末にJ-popの重鎮(?)ともいうべきKANによって再開することになるのだが。  ここでさらに始めに戻る。中学生の私は『THE SUN IS MY ENEMY 太陽は僕の敵』という今思えばちょっと恥ずかしいタイトルの曲を聴いて、「こんなメロディと...