タイトル出典: 『結婚しない二人』by KAN
札幌にふらっと行ってきました。きっかけは他にあるけど、私的には、KANさんを偲ぶという意味もありました。ほら、KANさんは「イメージ出身地: 北海道」というのがファンの間ではよく知られていることらしいので。それに、長年、札幌拠点のラジオ番組のパーソナリティを務めていらっしゃったのですし。
でも結局、ファン歴の短い私は何をしたらよいか、よく分からなくて。KANさんがよく行っていたという(KANさんの公式X(旧twitter)情報)ラーメンの大公というところに行きました。今の流行りとかではなくて、普通の札幌ラーメンということで、美味しかった。寒いから、体が暖まりました。
札幌の「大公」さん
KANさんのことを考えると、逆に、色々考えが止まらなくなってしまいそうで、曲を聴く気にならない時がある。札幌に行く前後は、そういうわけであまり聴いてなくて、1週間ぶりくらいに、東京で聴いた。最近の私には、ミドルテンポというのか、『8 days a week』とか『結婚しない二人』とか『Hong Kong Sayonara』とかが心地よいです。
ここで、『結婚しない二人』について。タイトルから、まあおおよそどのようなことを唄ってそうか、想像はできるし、実際そのとおりの内容なのだけど、よくよく考えて、『丸いお尻が許せない』以降、私が持っていたKANさんのイメージとは随分違っていることに気づいた。歌詞をまた抜粋しますが、
欲しいものはほとんどもう君は持ってるはず
ツーシーターの外車 トスカーナのワイン
堅めの肩書きに ジェントルなボーイフレンズ
あと何が欲しいのと詰めよるぼくに
君は勝ち誇るように言った
「理屈ぬきの強引さだけよ」
出典: 『結婚しない二人』by KAN
多分ですけど、女性なら、なんとなくこの歌詞の中の女性の気持ちが分かるのじゃないのかと思う。自立していて、一人でも生きていけるけど、誰かと一緒にいる、という状況で、でも、最後のところはその相手に、強く必要とされたい、といったような想いというか。時代錯誤かもしれないけど、うーん、そうでもないか、どんな人でも時々は、誰かに強く必要とされていると感じたいと思うか。そんな気持ちが、この歌詞のセリフに表れてるんじゃないかな。で、思ったのは、KANさんが、それを歌詞にしたということです。ただ、そういう体験があって書いた、ということ以上の意味があるのじゃないかな、と、歌詞を最後まで読んで、詮索してしまう私。この曲は、あややがカヴァーしていて、あややがその曲をカヴァーするに至った経過について書いている方がいる。KANさんがこの歌詞を書いて、年齢も性別も異なるあややがその曲を選んで唄う、ということが持つ意味は大きい。引用元では、できちゃった婚のことが書かれていて、確かにそういう面もあるのだけど、それはKANさんやあややが著名人だからかな。できちゃった婚というのは結果であって、それはやっぱり日々を生きる人間の観点に立てば、普通のことですよね。「babyができちゃった→結婚」だけが形じゃないにしても、すごい著名人でもすごいお金持ちでも、お金はあまりなくても、別に有名でなくても、一人で生きると決断したとしても、人間である限り、みんな同じ場所で暮らしているので、特別なことではないのです。
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『丸いお尻』の歌詞とか、他にもあるけど、女性を性の対象として捉えていることを隠しもしないのがKANさんのスタイルなのだけど、どうやらそれだけじゃないと思わせるような歌詞もあって、そういうことでまたKANさんて憎いな、と思うわけです。
美人が好きで、男性は女性を守らないといけなくて、女性はコンサバじゃないといけなくて、女性はダジャレを言うべきではなくて(インターネットで断片的に収集したKANさんのお言葉からの意訳です)...KANさんがそのように考えているのはそうなのだろうけど、人が普通そうであるように、他にもいろんな面があって、その新たな一面が見えるのがファンは楽しくて幸せなわけですね。数ヶ月経って、ようやくKANさんの楽しみ方を心得てきた私。というか他の人はどうでもよくて、私のとって、KANさんの魅力はそこなんだ。
それからそれから、「むむむ」と思ってしまうような歌詞でも、メロディが。メロディとリズムのポップさが全てを説明してくれる気がすることさえある、その作曲の才能、だと思う。元ネタが分かるにしても分からないにしても、元ネタがあるにしてもないにしても、私にとってはそれはもうKANさんだ。
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