オザケンのライヴに行ってきた。
実は生まれて以来初である。2023年9月30日に行われた小沢健二の母校、東大での講義「東大900番講堂講義」の追講義である「東大900番講堂講義・追講義 + Rock Band Set」(10月2日@旧渋谷公会堂)には、運よく当選し、参加したので、小沢健二の生演奏と生唄は聴いたことはあったが、正真正銘のライヴツアーには初参加であった。
ツアーで回るのは、名古屋、大阪、東京のみで、どれもドームなどと比べると大会場ではないため、争奪戦になるだろうと予想できた。今私は東京に住んでいるので、NHKホールに申し込んだ。申込みは、1回/会場/人。予想していたとおり落選。2回目の事前抽選にももちろん申し込んだが、やはり結果は落選。同時にグランキューブ大阪も申し込んでいて、そちらはS席当選(いずれの会場も、砂かぶり席、S席、A席の3種類あり、第3希望まで入力必須、同じシートは選べないので、当選した場合、どれかの席に割り当てられる)。
大阪公演はGW中の土日だったし、ファンになってから30年超、初オザケンライヴに、オザケンを聴きながら学生時代を過ごした地で参加できるというのも、また何かの縁だと思った。
大阪公演の1日目、実家から会場に行くには、阿部野(天王寺)を通る。オザケンが音楽のメインストリームから姿を消してた間、私は一切追いかけておらず、2017年のカミングバック時からもそんなに注目していたわけでもなかったが、オザケンの公式IGなどでたびたび、新世界でのお子さんのショットが投稿されているのを見かけており、オザケンご本人か、お子さんがお気に入りなのか、ご友人の方が住まわれているなど理由があるのか、詳細は全く分からないが、天王寺界隈出身としては、大変な光栄だと思っていた。どちらかいうと、天王寺界隈は特に大阪出身じゃない人からは(時には、大阪の北部の人からも)ある種のdisrespectを向けられることが多い(私自身の体感として)が、もちろん私はこのエリアを愛している。
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少し話は逸れるが、オザケンを聴いていた高校生時代の私が通っていた「高等進学塾(通称、高進)」は、地下を大阪メトロ(もう、大阪市営地下鉄ではない)御堂筋線が通る、我孫子筋沿いにある竹澤ビルの5とか6とか7階にあった(と思う)。土曜日、午後の講習に出るために、高校から近鉄南大阪線に乗って大阪阿部野橋まで行き、塾に通っていた。だいたい午後3時とかだったと思うけど、いつも外から明らかに野外で誰かが歌ってと思われる音楽が聞こえてきてて、ある日、北側を一望できるトイレの窓から外を見てみたら、天王寺駅から動物園前に通じる道にテントのようなものがたくさん並んでいるのが見えた。どうやら、そこに機材一式が組み立てられ、マイクで素人と思われる人たちが歌を披露しているようだった。のちに、これは「青空カラオケ」と呼ばれていることを知るのだが、私は「いつか私もあそこで人の前で歌ってみたいなあ」と夢見ていた。残念ながら、その夢が叶う前に、これらのテントは撤去され、道などは新しくきれいに舗装され、「てんしば」というイベントなどが行われる野外広場に変わってしまった。
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そんな天王寺から御堂筋(大阪市営交通局ではなく、大阪メトロ)に乗り込み、動物園前のキリンさんを横目に、梅田まで出て、Umegleバスで梅田新道(バス停)まで行き、そこからまたバスでグランキューブ大阪に向かった。大袈裟かもしれないが、天王寺も梅田も、私にとっては庭なので、庭からライヴ会場に到着したようなそんな感じであった。
それでライヴが始まりました。1曲目は『I Hear an Owl』。ライヴの特典として渡された各都市異なるパターンの缶(ランチボックス?)に忍ばされたホイッスルを取り出し、指示があったら吹くようにと伝えられる。オザケンの「ホイッスール!」という掛け声に続き、一斉に観客がホイッスルを吹く。鼓膜がビーンと言うけど、心地良くもある。というか、オザケンとバンドメンバーと会場の一体感。
続く2曲目で、私は言葉にならない声が出てしまった。『天使たちのシーン』が始まってしまったからである。1曲目からインターバルなく、ファンクっぽいジャズっぽいアレンジで始まって、すぐに気づいた。すでにクライマックスが来たと思った。
オリジナルに比べると、だいぶ短かった気がするので、shortにアレンジされていたのだと思うが、どの部分を歌っていたか、残念ながら記憶にない。最後の部分は覚えている。
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
耳を傾けている 耳を傾けている
『天使たちのシーン』から一部抜粋
ごっさファンキーなベースライン
ここでしか見れない 景色
ここでしか吸えない 空気
吸って吸って吐いて吐いて
日は登り落ち 折り返し地点
『今夜はブギー・バック feat. Ozawa Kenji』から一部抜粋
...み・た・い・な
以前、と言ってもそんなに遠くない昔に、初めて「犬は吠えるがキャラバンは進む」(小沢健二のファーストアルバム)を手に取り、『天使たちのシーン』を初めて聴いた時に、「オザケンがいるこの世界に生まれてきてよかった」と思った。その気持ちはこれからも変わらない。初めて聴いて以降、この曲を聴くたびに、「オザケンも私たちと同じ世界に生きているんだな(=アッパー〜アッパーミドルクラスのオザケンも、結局私たちと同じようなことを感じて生きているんだな)」と感じ、安心するのである。
初めて「犬キャラ」を聴いた時にも書いたような気がするけど、発売当初は、私は学生で経済的な理由から、何を買うのかの取捨選択をすべてにおいてしなければならなかった状況で、「犬キャラ」の購入を見送ってしまった。30年後この作品に再会し、当時選択をしなかったことに後悔は感じるが、その当時、今のようにこの作品をappreciateできるcapacityがあったかと問われると、間違いなくなかったように思う。
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(本当はもっといろんなこと「無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない」の斉唱とか地獄!のコールアンドレスポンスとかのことも書きたいし、スチャダラパーとの『ぶぎ・ばく・べいびー』も最高だったけど、まとまらないと思うので、色々省いて次に行きます。)
中盤のあたりで、すごいグルーヴのある曲が始まって、まさに『Groove Tube』を初めて聴いた時の衝撃のような衝撃を受けている私にオザケンは言った。
「魔法がかかる夜、大阪にいる」
こ、これが、それか!と思った。IGで何度か、この「魔法がかかる夜、大阪にいる」というフレーズを見ていて、なんのこっちゃ?と思っていた。これか...これか!
後日談があって、NHKホール1日目、当日券を抽選で勝ち取り、参加した。なので、この「大阪の歌」は計2回聴いた。詳細は覚えていないが、間奏でシロフォンが入るところがあって、今回のライヴ仕様なのかもしれないけど、そのパートが、私はすごい大阪!と思った。というか、「あの頃の大阪」だと思った。80〜90年代の大阪。私のイメージだけど、あの頃、デパートの館内放送とか、CMとかにシロフォンのような音ってよく使われていなかった?もしかしたら全国的になのかもしれないけど、その時代の。御堂筋の各駅に到着する前に、その駅にある会社の宣伝が流れるのだけど、そのアナウンサーの女性の声の雰囲気とか、そういうのが全部、繋がっている。そのイメージと、このオザケンの新しい大阪の唄が繋がった。
グランキューブ大阪では、「早く歌いたかった」と言っていたし、
NHKホールでは、「大阪弁の出てこない大阪の曲と言われましたが、自分で見て感じた大阪を描いたものであって、別に大阪弁で歌詞を書くつもりは全くなかった(意訳)」というような解説もあった。
#オザケンが、大阪弁を話したら、それはそれで、(私を含め)ファンにとっては「萌え」だとは思うが、大阪を思って曲を書いてくれただけで、それはもうそれだけで(感無量で言葉にならない。)。
この曲の歌詞には、「阪急百貨店」とか「環状線」とか「新世界」とか「生駒山上遊園(!!!)」が出てくるし、最後の方には「世田谷」などの地名も出てくる。
「私は今、大阪で、オザケンが作った大阪の唄を聴いている。私が生まれ、大人になるまで過ごした新世界や京都や北新地で、オザケンがある1日を過ごすように、オザケンがこれまである時間を過ごしたであろう渋谷原宿表参道、下北成城登戸多摩川沿いで、私は日常を過ごす。」ことを想って何故か眩暈がした(別になんてことはない、ただのいちファンの妄想)。目の前に広がった地図(想像上)に、人の行き交う様子が、無数の光線となって見えた気がした。
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