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無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない

  前回の投稿からしばらく経っていることはわかっていたけど、最後の投稿は7月だったのか・・・。あれから色々あった。7月にはすでに2024年度中に退職して別のところに行くだろうことはほぼ決定していたとは思うけど、こなすべきことが多すぎて、本当に退職を含め、それ以降のことが起こるのかどうか全く確信できるわけはなかった。

 具体的に言えば、新しい職(というか給料制PhDなので、実際の身分は学生)のオファーはもらっていたけれど、上限のサポート(給与など)をもらうには向こうの提示する条件を満たす必要があった。それはたった一つのことなのだけど、私にとっては、今振り返ってみても、大変な条件だった。それはIELTSという英検とかTOICとかTOEFLとかと似たような英語の試験で必要なスコアを取ることだった。

 私は英語を話せないわけではないけど、日常会話でも詰まることがあるし、専門用語なんてほとんど知らないし、ましてやビジネス英会話のできるレベルでもない。私の世代(40〜50代)で日本で日本語の教育を受けてきた人とほとんど同じと思うけど、読み書きはある程度できる自負があるが、リスニング、スピーキングとなった途端、自信をなくすし、実際ほとんどできない。

 結局、計4回受けたと思う。読み書きで必要最低限を大幅に超えるスコアが取れても、リスニングとスピーキングで必要最低限を取れない、あるいは平均スコア(これも必須条件)が足りないということが続いた。スコア提出の期限もあったので、もうこれで最後だなと思ったテストでようやくギリギリのスコアが取れた。あとで気づいたが、私は締切はこのテストの半月後くらいと思っていたのが勘違いで、実際はテストの翌々日が締切だったので、気づいた時はびっくりしたけど、それくらいの思いだったのだから、スコアが取れていなくてもそれはそれで諦めはついていたとは思う。

 ようやく、無条件オファーというのがもらえて、予定はほぼ確定となった。ほぼ、と書いたのは、まだ他にやるべきこと(学生VISAの申請など)があるはずなのはわかっていたからだ。2024年年末にIELTSスコアが取れて、VISAの申請・取得、所属していた会社へ退職の意志を伝え、ようやく2月末に退職することができた。

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 そうそう、10月には父が癌を患っていることが明らかになって、その衝撃はもちろんあった。新しい職に就くことや渡英することについて、その影響を受けるべきではないと思ったが、それにしても決断には少々葛藤もあった。

 私の考えだけど、誰もみんな自分のために生きるのがよいと思っている。当然みんなそうしているとは思うけど、時々どうなのかなと思うことも、生きていると起こる。自分がよいと思うこと、したいと思うこと、幸せだと思うことを追求して生きることが、周りにいる人を幸せにする一番の方法だと思うからだ。自分が幸せじゃないのに、人をどうやって幸せにできるのかと思うし、自分を思いやれないのに、どうして人を思いやれるのかと思う。人のことをかわいそうと思う前に、自分の普段感じている不満をなんとかまずした方がよいと思う。念のため断っておくが、これは自己責任論とは違います。

 学生VISAの申請は、新しい職場(大学)からのCAS numberというものがあれば、全く問題なくすぐ下りる。ATAS(アカデミック・テクノロジー承認スキーム)という、イギリスでサイエンスやテクノロジーの分野で修士・博士号レベルの留学や研究をする際に必要な承認システムの申請をする必要がある場合もあるらしいが、日本国籍の人は不要ということだった。

 ということで、この半年少し、なんか色々あったけど、2月は特に人との繋がりの大切さを思った。そもそも人というか意志を持って動くもの全般苦手なので、会社の人に退職のことを説明したり、送別会でどんな顔したらいいかとか、最後の言葉とかを求められた時何を話すのかとか、かなりストレスだったけど、この歳になってやっと自分の考えを基にして話すことができたと思う。少なくとも、自分の言葉で話そうと努力した。10年前神戸製鋼を辞めた時、8年前ミスタードーナツを辞めた時、怒りながらほぼ何も言わずに逃げるような辞め方をしたあの時からは少なからず成長したのかな。

 何がしたいか、どのように生きたいか、はっきりした考えは、この歳になってもない。でも無理に決めても意味がないので、私はこの程度なんだと認識しながら、思いつきでもなんでも、その時々でこうするのがよいな、ということをやっていきたいと思う。時々、不安にもなるが、そんなことおそらく生きているもの全てがそうだろうので、考えても仕方ない。オザケンの『流動体について』に次の一節がある

 無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない

何とはなしに、ギターで弾き語っていたけど、急にすごく安心を感じた。

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