(タイトル引用『口がすべって』by Mr.Children)
3月は、何も覚えていない。・・・それくらい身体的に精神的にしんどい1ヶ月弱だった。ふと気づけば、新しい生活に向けて出発する日が間近に迫っている。
2月末に職場を辞めて、残っている有給休暇を使って最後の一週間は引越しの準備と引越し、3月は4月から始まる新しい生活の準備をしながら、実家で親の色々を手伝ったりして、家族と友人のために時間を使おうと予定していたのに、うまく事が進んだのは3月3日辺りまで。その頃から声が出なくなって、原因不明の咳と鼻水と・・・数週間経ってようやく症状が治ってきた。はじめに診てもらった総合病院では検査はしてもらえず、一週間経ってやっと検査はしてもらえたが、症状が出て一週間も経ったら、どんなウイルスや細菌も検出限界以下になってしまうんじゃないか・・・とか思いながらも、コロナ陰性、と言われるとやはり嬉しかったりもしたのである(症状がしっかり出てるので検査結果が何か助けになった訳でもなんでもなかったが)。
そんな感じで3月は大半を無駄に過ごしてしまった。
親の仕事のことで、色々手続きなどをやらなければならない事がある。詳細はプロに任せることにはなったが、プロに任せるのにも、こちらが何をしたいかを明確にして伝える必要があるので、そういったことは家族の誰も得意ではなくて、社会経験のある私が何となく指揮をとるという感じになってしまっている。
何が難しいかといえば、親と事務的に話すことである。そういえば、私は親と普通に話すのが苦手である。基本的に感情的に受け答えをしてしまっていると思う。また、親も社会経験がないからか(なくてもできる人はいると思うが、多くの人が社会に出て人との話し方を学んだり、打合せの場では順序立てて話す必要があることを徐々に学んでいくなどというようなことを一切体験していないだろうという意味)、話が何度も振り出しに戻ってしまったり、前提条件が話している間にどんどん変わって行ったりすることがあって、その度、感情的になってしまったりした。
実はまだ全て解決している訳じゃないので、このまま別の場所に行くのはだいぶ不安ではあるが、私も私の生活があるのでそんなことは言っていられない。前に進むしかない。
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そんなこんなで3月は感傷的になることが多かった。思い当たる理由は、ホームタウンにいるということ。よく考えてみれば、2006年4月から社会人を始めてから、約10年は神戸、その後10年は横浜と府中にいたので、実家を出て20年近く経っているのである。府中の荷物は完全に引き上げて帰ってきたので、実家に戻ってきたという精神的な自覚があるのだろう。数日帰省しているのとはわけが違う。
細かく書くと本当に長くなってまとまらないと思うので省くが、自転車で市役所やスーパーなどに行くと、その途中で漏れなく色々思い出すのである。子どもの頃、中学生の頃、高校生の頃、大学生の頃・・・やっぱり思い出すのは辛かったことや悲しかったこと、負の感情にまつわることが多い。それは思い出というのは悲しい方が思い出しやすいからなのか、実際私には悲しい思い出の方が楽しい思い出より多いのか、なんなのかわからない。人と比較しようがないが、色々思い出しては感傷的になっているのです。
そしてふと、ミスチルの『口がすべって』の歌が頭に流れてきた。これまで、ミスチルの歌詞を読んで「共感」なんて一度も思ったことないけど、この歌も別にこれまでそんなこと思って聴いてはなかったけど、今日はなんかスッと口をついて歌詞が出てきた。
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人ってみんな違うけど、でも大きく違うこともない、というようなことを思った。別に大した気づきでもないけど。親のことを時々、すごく嫌だなあと思うこともあるけど、それはおそらく同族嫌悪の一種じゃないかなと思う。私はそういうのも越えられるほど、冷静な人間になりたいと思う。
こんな感じで弱っているので、オザケンを見ていて、最近、もうちょっと汲み取らせて欲しいなと思う。わかる人にはわかる、ついて来れる人だけついて来てというふうに言われていると感じてしまうと、やるせない。好きなのには変わりないけどね。
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