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投稿

2025の投稿を表示しています

See it. Say it. Sorted

  こちらに来てから、そろそろ2ヶ月が経ちます。前回も書いたが、最も気になるのは肌の乾燥。シャワーのたびに、肌がざらっとした手触りであることに気づく。  もう一つ、大事なことは、洗濯用洗剤のこと。日本にいるときは、ずっと通常の洗濯には ホタテパウダー 、手洗いには 「海へ」 という製品を使用していた。ホタテパウダーはこっちにも持ってきたが、洗濯機は大家さんのものを借りて使っているので、不具合が出たりしたら困ると思って今は使用していない。成分などを確認して、まだマシかなと思って Ecover を使ってみているが、洗濯終わりの匂いが結構強い。しかも自然由来ではないような匂いがする。ホタテパウダーは本当にホタテの殻しか入ってないし、「海へ」は少しの界面活性剤とエッセンシャルオイルのみだったので、Ecoverの匂いにはまず、びっくりした。日本でも自然に優しい、みたいに売り出されているように思っていたので。で、おそらくこちらの洗濯機のコースをいまいち理解していないせいで、ちゃんと洗剤が落としきれていなくて、それが下着に残っていて、肌が触れる部分に湿疹ができてしまった。残留物という点でも、ホタテパウダーや「海へ」は、肌への影響が少なく、優秀なのだなと思った。  早急に洗濯機のコースを見直す必要がある。  とはいえ、こんなことも全て生活をしていく上で学んでいくことなので、これも含めて楽しめていると思う。 ********  近くにモールがあって、家から繁華街に出るのに通り抜けられるので必然とよく行く。中にヘアサロンが何店舗もあるけど、そのうちの一つが他と比べて入りやすそう(ヘアサロン苦手な私にとって、そう思えることは結構重要)なところがあったので、オンライン予約をして入ってみた。以前、LAで結構大変な髪型にされたことがあったので、なんかあったら『stop!!』と言おうと覚悟して行ったが、結果的に全くおまかせで問題なく、むしろ心地よく2ヶ月ぶりの散髪が完了した。トルコの人が多い地域なので、おそらくヘアスタイリストさんもトルコの方と推測するが、いとこが日本で働いていると話していた。  で文字どおり、西も東もわからない状態だったころから2か月近く経って、少し回りが見えてきたおかげで、やっぱりギターと、友人がお祝いでくれた素敵な貴族のようなティカップセットを置いてきたことが残念無...

わたしたちは 一人のバスルーム 世のありさまを呪いつつ 踊っちゃいます

  みなさま、ごきげんよう。しばらくぶりです。今回のタイトルの引用元は、小沢健二の『泣いちゃう』の歌詞の一部です。私の世の中に対するスタンスの一部かなと思ったので引用しました。後、特に今ロンドンに居て、バスルームに入ると、バスルームで一人なのは当たり前なのだけど、一人だなと思うのとリンクしました。私の今住んでいるところでは、トイレとバスタブが同じ空間にあって、バスタブはガラスの扉でトイレとシンク側と仕切られていてという感じで、妙に広いので、余計のそのように感じるのかな、と思います。  ロンドンに来てから、あまり雨に遭っていません。来る前いろんな人から、ロンドンは雨が多い、だいたい薄暗いと聞いていたので、日照が足りないだろうと予想して、ちゃんとVitaminD2サプリを持ってきたのに、要らなかった?と思うくらい、毎日晴れています。朝晩は結構まだ寒いし、日中も暖かいときで17度、寒いときは10度前半という感じです。で、だいたい晴れています。  そして日本との大きな違いの一つは、湿度がとても低いということ。洗濯物は、アパートの規約で外に干せないことになっている(景観を損なうため)から、室内に干さないといけないけど、一晩でからっと乾いている。湿気大敵なわたしにとって、これほどうれしいことはない!  と同時に、乾燥による肌のかゆみもたまにあって、それは予想していたものの、やはり不快ではある。Castor oil(ひまし油)を塗りたくっている。  ところで、ロンドンのバス。二階建てとは聞いていたけど(昔旅した時には乗れた記憶がなくて)、本当に楽しい。乗り鉄(バスだけど)のわたしとしては、一生乗っていたいくらい楽しい。ただし、二階の一番前に座れた時限定(そして、一生は言い過ぎた)。結構、毎回運転手さんの ハードボイルドな運転にはどきどき 、横をすり抜けるサイクリストにはひやひやするし、いきなり電話で話し始める乗客の声がうるさすぎるけど、ある程度の高さから見渡せるロンドンの町並みは(郊外エリアから中心地まで)、遊園地のアトラクションさながらなのです。  これは、どこにいってもそうだとは思うけど、特に異国の地なので身に染みたことは、バスの運転手さんのこと。ロンドンのバスは、オイスターカードというやつに、前もってお金を入れておいて、入り口でピッとして乗る。一律1.75ポンド、1...

Take It or Leave It

(タイトル引用、The Strokes)  英国入りして約3週間。まだ3週間かと思うほど、日本にいた日々は遠く感じる。かと言って、こちらに来て何をしたかと言われたら、特に何もしていない。まだ何も始まっていない。先日ようやくこちらで生活するための入金があった。当たり前と言えば当たり前だが、こちらでは自分で動かない限り、勝手に事が進むということがなくて、お金が振り込まれなければ、振り込まれていない、と、事務局に言わないといけない。それでようやく手続きが始まって、遅くとも4/9には振り込まれますと返信があったにも関わらず、結局入金されたのは4/11のことだった。  お金が入らないうちは、日本で貯めていたものを使って生活していたため、1 pound = 約200円、感覚的にはほぼポンドの倍のスピードでお金が消費されていく感じがした。それでようやくポンドでお金をもらえたので、精神的に落ち着いた感じがする。  先輩がまだ職場にいないため、まだ正式に私の業務は始まっていない。そのためとは思うが、毎日がゆっくり流れているように思う。だけど、1月頭に前職の室長に退職の意思を伝えてから、3月末に日本を出るまで、本当に色々あったので、そこから精神的にも体力的にも回復するのに、これくらいの時間は必要だったとも思う。  3月のよくわからない体調不良は、今思い返せば、百日咳だったのではないか。少し汚い話で恐縮するが、体調はほぼ回復しても、咳がいつまでも続いたり、痰や鼻水がいつまでも残っていたのはまさにそうだし、子どもの頃に受けるワクチンに耐性を持った種が、今流行っているらしいことをニュースやSNSでも見たので、おそらくそうなんだろうと思う。この体調不良と実家での親とのやり取りが重なったため、3月は今思い返しても、あれはなんだったんだ、と思うような一か月だったが、あれがあったおかげで、日本を離れたことや、健康であることや、親や友人との関係などを大切に思うことができる。  ここでの生活を、のんびりと表現できるのは、おそらく今だけと思う、というより、のんびりしていてはいけないと思っているが、日本とは違って、また私の携わる業務の種類によって、これまでとも全く違う生活で、より自分のタイムマネジメントとプランが重要となるので、基本的に受動的な私にとっては色々チャレンジになるが、どこまでできるか、やってみた...

想像を超えて 心は理解しがたいもの

 (タイトル引用『口がすべって』by Mr.Children)  3月は、何も覚えていない。・・・それくらい身体的に精神的にしんどい1ヶ月弱だった。ふと気づけば、新しい生活に向けて出発する日が間近に迫っている。  2月末に職場を辞めて、残っている有給休暇を使って最後の一週間は引越しの準備と引越し、3月は4月から始まる新しい生活の準備をしながら、実家で親の色々を手伝ったりして、家族と友人のために時間を使おうと予定していたのに、うまく事が進んだのは3月3日辺りまで。その頃から声が出なくなって、原因不明の咳と鼻水と・・・数週間経ってようやく症状が治ってきた。はじめに診てもらった総合病院では検査はしてもらえず、一週間経ってやっと検査はしてもらえたが、症状が出て一週間も経ったら、どんなウイルスや細菌も検出限界以下になってしまうんじゃないか・・・とか思いながらも、コロナ陰性、と言われるとやはり嬉しかったりもしたのである(症状がしっかり出てるので検査結果が何か助けになった訳でもなんでもなかったが)。  そんな感じで3月は大半を無駄に過ごしてしまった。  親の仕事のことで、色々手続きなどをやらなければならない事がある。詳細はプロに任せることにはなったが、プロに任せるのにも、こちらが何をしたいかを明確にして伝える必要があるので、そういったことは家族の誰も得意ではなくて、社会経験のある私が何となく指揮をとるという感じになってしまっている。  何が難しいかといえば、親と事務的に話すことである。そういえば、私は親と普通に話すのが苦手である。基本的に感情的に受け答えをしてしまっていると思う。また、親も社会経験がないからか(なくてもできる人はいると思うが、多くの人が社会に出て人との話し方を学んだり、打合せの場では順序立てて話す必要があることを徐々に学んでいくなどというようなことを一切体験していないだろうという意味)、話が何度も振り出しに戻ってしまったり、前提条件が話している間にどんどん変わって行ったりすることがあって、その度、感情的になってしまったりした。  実はまだ全て解決している訳じゃないので、このまま別の場所に行くのはだいぶ不安ではあるが、私も私の生活があるのでそんなことは言っていられない。前に進むしかない。 ********  そんなこんなで3月は感傷的になることが多かった。思...

無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない

  前回の投稿からしばらく経っていることはわかっていたけど、最後の投稿は7月だったのか・・・。あれから色々あった。7月にはすでに2024年度中に退職して別のところに行くだろうことはほぼ決定していたとは思うけど、こなすべきことが多すぎて、本当に退職を含め、それ以降のことが起こるのかどうか全く確信できるわけはなかった。  具体的に言えば、新しい職(というか給料制PhDなので、実際の身分は学生)のオファーはもらっていたけれど、上限のサポート(給与など)をもらうには向こうの提示する条件を満たす必要があった。それはたった一つのことなのだけど、私にとっては、今振り返ってみても、大変な条件だった。それはIELTSという英検とかTOICとかTOEFLとかと似たような英語の試験で必要なスコアを取ることだった。  私は英語を話せないわけではないけど、日常会話でも詰まることがあるし、専門用語なんてほとんど知らないし、ましてやビジネス英会話のできるレベルでもない。私の世代(40〜50代)で日本で日本語の教育を受けてきた人とほとんど同じと思うけど、読み書きはある程度できる自負があるが、リスニング、スピーキングとなった途端、自信をなくすし、実際ほとんどできない。  結局、計4回受けたと思う。読み書きで必要最低限を大幅に超えるスコアが取れても、リスニングとスピーキングで必要最低限を取れない、あるいは平均スコア(これも必須条件)が足りないということが続いた。スコア提出の期限もあったので、もうこれで最後だなと思ったテストでようやくギリギリのスコアが取れた。あとで気づいたが、私は締切はこのテストの半月後くらいと思っていたのが勘違いで、実際はテストの翌々日が締切だったので、気づいた時はびっくりしたけど、それくらいの思いだったのだから、スコアが取れていなくてもそれはそれで諦めはついていたとは思う。  ようやく、無条件オファーというのがもらえて、予定はほぼ確定となった。ほぼ、と書いたのは、まだ他にやるべきこと(学生VISAの申請など)があるはずなのはわかっていたからだ。2024年年末にIELTSスコアが取れて、VISAの申請・取得、所属していた会社へ退職の意志を伝え、ようやく2月末に退職することができた。  ********  そうそう、10月には父が癌を患っていることが明らかになって、その衝撃はも...