突然だが、私にはモラハラ、ミゾジニー、ルッキズムという要素があることを自覚している。言い訳だが、私は昭和後期生まれであり、父のDVで辛い少女時代を過ごしたし、祖母が人の容姿を勝手に判断するのが日常茶飯事という三拍子(?)揃った環境で育った。私も大人になったのと、幸い、命に関わるような重大な事件を起こしたり巻き込まれたりすることなくここまで来たので、今、父や、祖母や、その他、私をモラハラ、ミソジニー、ルッキズムという三重苦に仕立て上げた「環境」に対して恨んだりするような気持ちは全くない。
ただ、そんな私なので、自己肯定感は低く、プライドは高く、結果、人とコミュニケーションを取るのがとても下手だ。なんだったら、人自体あまり好きじゃない、好きじゃないというわけじゃないとは思うが、コミュニケーションの取り方を学べなかった、学んでこなかったため、おそらく「人と人」という関係を築いたという体験がほとんどなく、今日まで来てしまったというところだろう。
J氏に出会って、10年近くなる。今振り返ってみれば、これまで色々あったが、はっきり言えることはJ氏のおかげで親との関係は改善したところもあるし、今日この話を書こうと思った程度には、私は人との出会いを大切にしているということに気づいた。
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先週か先々週か忘れたが、J氏が「友達が家族で日本に旅行に来る」と言った。私は、いつものように「ふ〜ん」と言ったと思う。その後もなんかごちゃごちゃ説明していたが、私はぜんぜん聞いてなかった。一昨日の土曜日、J氏が「友達が1人で会いに来るなら1人で行こうと思っていたけど、家族で来るみたいだから一緒にランチ行きましょう」と言ってきた。内心めんどくさいな〜と思いながら、行かない理由もないので行った。池袋に行くことになった。なぜか海外からの旅行者にとっても人気の高いTeamLabのイベントを、例外に漏れず、その家族も見に行っているようで、J氏が豊洲から1本で来られて、新宿や渋谷よりはテーブルを取りやすいという理由で選んだとのことだった。私が着くよりも先に、J氏はルミネのレストラン街に7人座れるテーブルを確保していた。
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無事家族が着いて、お昼ご飯を一緒に食べた。私はほとんど会話に入らずに(入れずに)聞いているだけだったが、どうやらその友達とは高校の時に出会ったようだった。学部は違うが大学も同じようだった。その友達のお母さんもいたのだが、よくその家族の家の地下で麻雀をするためにクラスメイトが集まっていた、という話になって、「いや、あれは地下じゃないのよ、あれが1階なのよ」みたいな話をしていた。
そこで、ふと、「J氏がこの友達と会うのは20数年ぶりだ」ということに驚いた。20数年ぶりに、しかも自国ではないところにいる自分に会いに来るような人はいるだろうか?それ以前に20数年ぶりにそのような連絡(ただ久しぶり、程度の会話ではないという意味)を取るような人はいるだろうか?私にはいない。しかも親とパートナーと子どもも連れて会いに来るとは、一体なんなんだろう。
きっと私が寂しい人なんだと思う。事実、そのように生きてきたのだから、悲しいというわけではない。ただ、そういうこともあるのかあと感心したものである。あまり親とうまく行っていない私に、J氏がことあるごとに言ってくる言葉がある。「この瞬間死ぬかもしれないのに、明日生きていないかもしれないのに、メールするの?電話電話今すぐ電話!できれば、FaceTime!いや、今すぐ大阪に会いに行って!」
私はなんでもまず「否定的な反応」をする。それが私だ。でもJ氏にかなり怒られたおかげで、おそらく3割くらいは「肯定的な反応」を第1反応としてできるようになって来たと思う。反射神経的に「自分のことは自分が1番わかっているから私が決める。それに自分の考えが1番優れているから、あなたの言うことなんか聞く必要ない。」といった感じであった。それが今は「こう言ってくれているのだから、そうかもしれない。考えてみよう。そうだな、いいかもしれないな。そうしてみよう。」
もちろん、全てがこんなによい感じに進んでいるわけではないが、私のとっては少々乱暴だがカウンセリングのような効果があったんだと思う。
話が少し飛んでしまったが、友達の話に戻る。私なんか全く関係ない人間なのに、別れの時も「会えてよかった!」とハグをくれるのである。私は「正しい意味でのボディタッチ」に慣れていないので、それだけで、なんかじんわり心温かくなってしまったりして。日本人に多いだろうと勝手に推測するが、パーソナルスペースの感覚がずれていたりするのは、そういったことを自然に学ぶ機会を日本人は社会的に与えられずに大人になってしまっているためだろうと思う。…要するに、私は、この日カルチャーショックを受けたのである。
J氏がその友達と2人でコーヒーを飲みに行き、他は解散となった。楽しそうな2人をいいなあと思いながら私はヨドバシカメラに除湿機を買いに行った。
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次の日、その友達のことについて根掘り葉掘り質問する私にJ氏が言った。「なんで昨日、直接聞かなかったの?」そうだ、これは私の悪い癖だ。また、この日京都に移動するという家族に手伝いは要らないかな?とJ氏に聞いたら、「会っている時に、もっと親切にしないと意味がない」(意訳)と言われてしまった。ごもっともである。
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私はいつもこんな感じだな、と思う。これでもだいぶ改善されたのだと思っていたけど、まだまだまだまだだった。スタートラインでの構えがすでに違う。
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人との出会いは素晴らしい(ちょっと飛躍し気味ですが)。何もドラマチックなことが起きなくても、逆に悪いことが起きてしまうこともあるかもしれなくても、素晴らしい。自分の中だけで起きるきっかけには限りがあると思うから。人の干渉があることで、反応(よくも悪くも)が起きる可能性が高くなるから。それはすなわち生きている意味になると思うから。
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話の展開に身を任せていたら、モラハラ、ミソジニー、ルッキズムを回収できずにこの話が終わってしまいそうである。申し訳ないですが、そちらはまたの機会に。
凄く共感した…そして最高だJ
返信削除コメントありがとうございます。返信が遅くなりすみません。共感してもらえるのは嬉しいです♪♪
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