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I Write and Sing a Christmas Song about a MAN in Sankt Petersburg with REGRETS

  こうしてKANさんの作品を能動的に聴いたり見たりするようになると、日々のあちこちにKANの要素が散らばっていることに気づく、というのは少し大げさかな。  そういう要素がある、と私が感じるのは私の考えによるものだから、当たり前と言えば当たり前でもある。  例えばKANさんのファンじゃないにしても、『愛は勝つ』が大ヒットした90年代、テレビやラジオを聴くなどしていた人は、どこかで当時のKANさんの曲を聴いたりしていたと思う。私もそうだった。特にファンでもなく、むしろ 以前言及した ように『丸いお尻が許せない』というタイトルがサビの歌詞にもなって巷を駆け抜け、思春期の私の複雑な心を刺激したお兄さんに、好意を持てず、どちらか言うと避けたい人になってしまっていた私のような人にとっても。  KANさんがこの世界ではないどこか遠くへ旅立たれたというニュースを聴いてから、Apple MusicでKANさんの音楽を聴いていると、これ知ってる、これも知ってる、となって少し驚いた。90年代から、すっかり忘れ去っていた、実に30年前の記憶が、あらぬ方向から戻ってくるという、脳に一撃をくらわされたような感じになった。懐かしいのか新しいのか嬉しいのか悲しいのか訳の分からない感情が溢れる。 ・REGRETS(1989年9月1日) ・言えずのI LOVE YOU(1992年3月25日) ・KANのChristmas Song(アルバム「TOKYOMAN」1993年2月25日) ・MAN(1996年5月27日) ・Songwriter(1997年8月27日) ・サンクト・ペテルブルグ(1998年2月5日) ・桜ナイトフィーバー(2015年2月25日)  Apple Musicを聴いていて、知ってる!となった曲を挙げてみたが、やっぱり90年代が多い。これらの曲から、KANさんが影響を受けたであろう人や音楽だけでなく、KANさんが影響を与えたであろう人や世界が見えてくる。私自身のその当時の記憶も混ざる。ああ、これは感動、というものなんじゃないかな、とか他人事みたいなことを思った。 ********   京都大学 情報学研究科の神谷教授の研究 について読んで、ふと思った。人の死とは何か、とか。人は生きている人とコミュニケーションができる。言葉や身体を用いることがほとんどだけど、行動には脳波の変...

またまた、KANのこと

 自転車に乗るのが好きで、20 kmくらいなら自転車で行きます。コロナがはやってから、それよりさらに遠くてもまあ自転車で行こうか、という感じで過ごしてきました。とはいえ、歳が歳なので、最近は少し控え気味です。  普段、自転車で通っていて面白いなと思う場所が色々あるのです。その一つが、東急の世田谷線っていう軌道線がありますが、その山下駅のそばの踏切を横断する時です。駅舎のすぐそばに踏切があるので、駅の中を自転車で歩いてる感じがするのです。軌道線だから、プラットフォームも近くて、そのことがよりこの不思議な感じを強めていると思います。同じような感じで、西武多摩川線の白糸台駅も楽しいです(こちらは軌道線ではなく、鉄道ですが)。  それで、ここ最近の投稿のとおり、KANさんの音楽を、KANさんの存在を、中学生の時以来再認識し、30年越しにファンになろうとしていて、 タワレコ新宿店にCDを買いに行ったのです。私は Apple Music歴約5年で、これさえあればCDは要らないなと思っていたのですが、どうしてもKANさんのCDは改めてお金を出して入手したいと思ったのです。きっと、私の中のKANが平成で止まっていて、その頃音楽を聴くのはCDが普通だったからかなと思います。自分のKANのCDというものを持っていたいと思ったのだと思います。  前回の投稿にも書いたように、『プロポーズ』が一番好きな曲なので、オリジナルヴァージョンが収録されている「ゆっくり風呂につかりたい」を買いました。ブックレットにはその頃のKANさんが載っていて、風景も懐かしく、少し切ない感じがします。ページを進めていくと、どこかの駅のプラットフォームの写真が出てきました。 KANさんはそこにはいませんが、看板の一つがKANさんになっています。 駅のサインに「やました」と書いてあるのを見て、ハッとなりました。老眼が始まったらしく、即座に読めなくて、必死に目を凝らして駅のサインを読むと右側に「みやのさか」、左側に「まつばら」と書いてあります。いつも通る、あの山下駅でした。  そこにはKANさんはいないのだけど、数十年前のここにKANさんがいたのだと思うと、なんか胸の辺りがじんわりするような、そんな感じがしました。  再認識が遅すぎて、ファンになったときには既にこの世界にいないとか、なんとも切ない状態だと思いませんか。一...

また、KANのこと

  前回の投稿に続き、また、KANさんのことを書きます。突然KAN「さん」とか書いて、自分でちょっと違和感はあります。なんせ、小学校高学年の時に『愛は勝つ』の大ヒットをリアルタイムで体験し、小学生女子のノリでずっと「KAN」と呼んできましたものですから。だけど、ファンの方や交流のあった方が、KANさん、KANちゃん、KANしゃんなどど呼んでいるのを見て、さすがに呼び捨てるのはよくないと思うに至りました。  前回の投稿のあとも、少しずつApple MusicでKANさんの曲を聴いていて、タイトルで選んでいる(とりあえず、怪しいタイトルは後回しにしてる)ということもあるけど、どの曲もよく、(亡くなられたことを、悲しく思う気持ちや、懐かしい気持ちも、手伝ってのことかもしれないけど)彼の声は、この季節の冷たく澄んだ空気に似合うし、外は寒くても、心がじんわりと温まるかのような感じがします。  いろんな人が悲しんだり、懐かしんだりしているのを読んだりしていると、ふと私も一つ、KANさんのエピソードを知っていることを思い出しました。とはいえ、本当の本当に30年くらい前なので、正しい情報かはわからないですが…。   その頃、土曜日はラジオを聴く習慣があって、FM802をよく聴いていたと思います。ヒロT(ヒロ寺平さん)とKANさんが話していたか、ヒロTがただKANさんの話をしてただけかは忘れたけど、「I Love You」の「Love」の発音についての話でした。要約すると、  「はっきりしたラヴ」じゃなくて「(ロヴに近い、口をはっきり開けない感じの)ラヴ」と発音するのがかっこいい みたいな話だった。 海外のアーティストを例に挙げてたような記憶もある。それでその後、KANさんの曲をかけてくれたのかなんかで、確かにKANさんのLoveの発音が、言ってたとおりだって、当時、私も英語かぶれだったので、「あーわかるわかる、その違いに気づいてるとは、センスいいなあ」と思った記憶がある。何とも上から目線なのだが、当時中学の小娘だったので、許してほしい。  ちょっとKANさんとヒロTが言ってた「Love」とは違うのだけど、BritishとAmericanの違いを聴けるサイトがあったので、聴いてみてください。   English pronunciation of love

KANのこと

  KANが亡くなったということをXで知った。今年の3月にガンを発症したことを報告していたということだった。そういえばなんとなくどこかで読んだ覚えはある。私にとって、そのくらいの感じだった。訃報を聞くまで忘れてしまってた。  11月17日に、亡くなられていることが公表され、私もあらま、と思ってXでコメントした。と言っても、直接、死について述べたわけではなくて、私の好きなKANの曲をApple Musicを通してシェアする形で、 その曲に関する感想 を述べた。  私の中のKANはずっと『愛は勝つ』だった。もしくは『必ず最後にチキンカツ』だった。それが『丸いお尻が許せない』というタイトルの曲によって、当時、多感な時期の女子小中学生であった私にとって、「なんか好きになれないアーティスト」に位置付けられることになってしまったのである。また、同時期に『まゆみ』という曲もヒットしていたと思う。私の極めて個人的な事情によるが、この名前が好きではなくて(実の叔母さんの名前でもあるが、それは全く関係ない)、その「好きになれない感じ」が余計に増したのである。歌詞も読んだこともないのに、である。  約30年越しに、『丸いお尻...』の歌詞を読んでみて、やっぱりダメだった。私の直感は当たっていた。気持悪い。でも、当時の風潮(と呼んで、問題を小さくまとめてしまいたくないが)をすっかり表しているような、そんな感じがして少し懐かしくも思った。でもよくよく考えてみると、日本の男性のアーティストについては、その気持悪さを全く感じないような人はいないと思う。それが理由で、ずっと好きとか聴き続けるような人はいなかった。KANの影響を受けたと公言しているアーティストはたくさんいる。訃報の後、いろんな人が追悼していて、そんなところに交流があったのかと驚くとともに、KANの曲を今更ながらApple Musicで聴いて、この曲はあの曲に似てるなあ、みたいなことが多々あることに気づいた。  上述したように、小学生のとき、山田邦子の番組で聴いていた以外に自分からKANの曲を聴いたことはなかった。10年くらい前、まだApple Musicがなくて、手元にCDがなくて、あの曲聴きたいーみたいになった時、Youtubeがとても便利だった。その時にMr.Childrenの桜井さんがap bankかなんかのライヴでK...

小沢健二の『東大900番講堂講義・追講義 + Rock Band Set 公演』に行ってきました

 気づいたらもう1ヶ月も経っていたのだけど、2023年10月2日、オザケンのライブ(講義と演奏)に、行ってきました。会場は渋谷公会堂(今はLINE CUBE SHIBUYAが正式名称のようです)で、収容人数が2000人以下ということもあり、倍率は高かったと思われますが、運よく当選しました。しかも実は、初めてのオザケンライブ体験だったのでした。   https://l-tike.com/concert/ozknut/   開演は、数分遅れたけどほぼ18時で、終わったのは21時15分頃。オザケン、エネルギーありすぎる。ちょっともう詳細を覚えてないけど、2時間くらいぶっ通して話してたんじゃないか。所々に新曲の『ノイズ』を唄ってくれて。その後バンドが出てきて、何曲かやってくれた。『薫る(労働と学業)』と『強い気持ち・強い愛』と『運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)』をやってくれたのは覚えてる。むっちゃテンション上がったもので。  覚えてることをまとめてもそんなに意味はないと思うので、前半の講義を聴いて、私の思ったことを、書いておこうと思う(長文スマソ)。 ******** オザケンと私  私のオザケンとの出会いは、フリッパーズギターを通してだった。フリッパーズはすでに解散して小沢健二はソロ活動をしていたので、試しにレンタルCD屋さんで売っていた『天気読み/暗闇から手を伸ばせ』のシングルを買って聴いてみた。  当時中学生で、音楽といえば、ベストテンや土曜のラジオ大阪の歌謡曲カウントダウンとかでアイドルの歌を聴いていたので、なんやこれは、と思った。フリッパーズやコーネリアスを聴いた時も、確かにこれまで聴いたことないような音楽だと思っていたけど、『天気読み』は、聴いたことないような、でも何か知っているような、そんな感じだった。今思えば、フリッパーズとコーネリアスを聴いて、ある程度、普通の日本の歌謡曲には当てはまらないような感じの音楽が世の中に存在することを知って、ある程度、小沢健二というアーティストに期待するイメージみたいなものが私の中に既にあったものと思う。だから、そのイメージを裏切ったということで、聴いたことないような気がして、でも実際はもっと私が慣れ親しんできた歌謡曲的だと感じたことから、何か知っている気がしたのだろう。  『天気読み』の、雨の降った翌日のすっきりして、...

PMSかPMAか

 生きていると、自分に嫌気が刺す時が来る。ある時ふと、それがどうやら定期的にやってきているらしいことに気づいて、またある時、もしかしたら(女性の)生理の周期に連動しているような気がすることに気づいた。この2つの気づきは、本当に2回というわけではなくて、なんとなく徐々にそれらしい、ということに気づいて来たという感じである。うっすら自覚したのが30代半ば、しかも友達にそのような話を聞いて、ん?となったのが初めだった気がする。  生理開始からはや30数年、やっとこの「嫌な感じ」は私の性格によるものだけではないのだということを、今しっかり考えたいのである。  というのも、毎月しんどい時期が来る。生理の期間も身体的にしんどいのに、それ以外に精神的にダウンする時期が必ずあるなんて、なんてこった。半月くらいはこれで無駄にしているではないか。それでよくここまで生きてきたな。  私のこのダウン期の症状とは、というと。「人と比較して、自分はなんてダメなんだろう、と落ち込み、落ち込んでいるのを隠そうと必死になり、空回りして、自己嫌悪に陥り、周りはさらに私をダメなやつだと思っていると感じる」というのが一連の流れである。人と比較してしまうというののベースは、私の元々の性格で、その悪いところが増幅されているということだと思う。  先週、今週はそんな感じの時期が続いて、私はまたすっかりその生理と連動している「嫌な感じ」が定期的に来ることを忘れていて、普通に「なんて私はダメなんだろう。こんな頑張ってるのに、評価してもらえていない」とぐるぐるしていたが、さっき、「いや、これあれやん、月一のやつやん」と気づいた。  これを、PMS(Premenstrual Syndrome、月経前症候群 )(の一つの症状)というらしい。そんな用語ができているくらいなら、仕方ないよね。 ********  今日仕事の帰り、自転車に乗っていて、ふと「PMA」が頭の中に浮かんだ。「PMS」と「PMA」。1字ちがい、だけど大きなちがい。いやでも、違い、ではないか。PMSをPMAで乗り切ることができるのではないか。私はH.R.さんではないので、なかなかそう簡単にはいかないが、PMA(Positive Mental Attitude)を心がけることはできそう。 Don't care what they say We go...

I looove doing the laundry !! 〜私の趣味は洗濯です〜

  突然ですが、私は洗濯するのが好きです。もうちょっと若いときに、3歳下の(彼氏になりつつあった)男に「機械がやってるだけやん。」とかわいくないことを言われたのを覚えておる。(後になって、いらんこと言いやな、と自分で釈明していたけど。)  でもまあ、その洗濯機がやってくれている、ことを含め洗濯が好きなのだから仕方ない。 あの洗濯をこれからするぞーとこれもこれもと放り込む時間のワクワク感 洗ってますよーという感じのわしゃわしゃ音 それを窓から覗いて、今汚れが中和されているのだ、とその様子を分子的に妄想 中和された皮脂や汗が水に混じって排水溝をじゃっぱーんと流れていくこと 終わったことを知らせる音が終わるのと同時に洗濯機の扉を開ける快感 よーく乾けよ〜と父親にでもなったかのように一つずつピンチに丁寧に挟む作業  もう少し若いときは、寮とか、ベランダの小さい賃貸に住んでいたから、部屋干しか乾燥機で乾かすのがメインだったけど、「築深」な今の日本の古き良き団地的賃貸に引っ越してきてから、太陽光に当てない人生にはもう戻れない。  唐突に、洗剤の話になります。以前は花王とかP&Gとか、使っていた。液体が溶けやすくてよいと考えて、濃縮液のやつを使ってた。たまにジェルボールも使っていた。しかし、匂いが好きになれなかった。匂いだけで言えば、昭和な粉の洗剤がまだいいかなと思っていた。この匂いが嫌いな理由には、時々体験する「生乾きの洗濯を着ている人のそばに長時間いなければならない状況」が大きくあると思う。またそんなとき、何故かこの洗剤の匂いがとてもきつく感じられるのだ。実際匂いが強いのだと思う。マイクロとかナノとか、そう言った成分が入っているから、鼻についたら穴に侵入しやすいのだと思う。同じ理由で柔軟剤も嫌い。というか、私は、むしろタオルは"ざらざらばりばり"がよし、というタイプだ。なぜ柔軟にする必要がある...?  で、同じく嗅覚が強めの友だちがいて、その人が教えてくれたのががんこ本舗の「海へ」だった。ほとんどが水、少しの界面活性剤とエッセンシャルオイルでできていると。なんてことはないが、界面活性剤で汚れを分解するのは普通だが、そのほかの不要な香料などが極力抑えられているために(不純物が少ないために)、汚れの再付着が起こりにくい、ということなのだろうか( 違った、極性...

はなれればはなれるほど 近くに感じるよ

タイトル出典: 槇原敬之の『僕のものになればいいのに』(アルバム「Such a Lovely Place」)   自分に対しての基準が低い人が嫌いだ。と言うのは誤解を生む表現だな。正しくは、人に対する判断基準が高いのに、自分に対しては低い人が苦手だ。でもそれは自分がその傾向にあると自覚しているからだとも思う。こういうところに私のハラスメント気質はよく出ていると思う。  人と行動するのが苦手だ。でもそれは自分が輪に入れていないと感じている、私自身の問題なのだと思う。  同調、共感、若いものや新しいものをよしとすること、人は元々他人に対して無害であるという性善説のようなものが苦手である。無知な私に対し、高圧的な態度と裏にいやらしさを隠した社交性を持って接してくるような人に、私は出会い過ぎた。そんな人間、1人でも出会ってしまったら、ある人の人生を穢すのに十分な毒である、と思う。  それを、私は、私が女性であるからというのが十分条件と、ほとんど思い込んでしまうくらいには打撃を受けてしまって、今なお傷を押さえつつ生きていると感じる。  誰も自分以外の他人のことを決めることはできない。そんな権利はない。パーソナルスペースというのは身体的なものと精神的なものとがある(他にもあるかもしれないが)。人のことを勝手に推測してとやかくいうのは、よくない。越権行為であり、卑しく失礼な行動だと思う。主観の滲んだ表現になってしまった。もう少し落ち着いて、冷静な表現をするとすると、その人への尊重がないということである。人の領域にずかずか入ってくる側の人の理由は、何なのかよくわからない。だけど何故か、そういう人は弱い人間をうまく嗅ぎ分けて見つけてくる。偶然見つけてるのか、手当たり次第試しているのか、検知できるのか。  私は、被害を受けた側であり、実は驚くことにそういうことを人にしてしまう側でもある。そういった人の他人に対する侵略について、強い嫌悪感を示すパートナーに出会ったおかげで、少しずつ自分の行動を見直すことができてきたと思うが、完全にそういうことをしない人間になれるわけではないと思う。そういうパートナーもそういうところが全くないわけでもない。  人はそんなもんだということなのだろう。だけど、近い関係だと仕方ないこともあるのかもしれない。距離をまた取り直せばいい。だけど、それ以外の失礼...

'ある光'で始まる'Spellbound'な'Voyager'の'岬めぐり'、'TUNE UP'して'ローラースケート・パーク'で見た'天使たちのシーン'

 まとまらないけど、書きたいとずっと思っていたことを、まとまってから書こうと思っていたけど、おそらく絶対まとまる日が来ないので、もう書いてしまえと書いてみることにした。まとまらなさは、タイトルを見てもらえれば一目瞭然であろう。(2023年3月12日) ********  今日久々にまた「犬キャラ」を聴こうという気分になった。すっきりしない天気が続いた後の貴重な雨じゃない日の土曜の朝という複数の条件が揃ったせいだと思う。それでふと気づいた。前からなんでかなと思っていた。私が誰かの創作物(音楽でもmovieでも写真でも文章でも建築物でも絵画でも)を見たときに、"うっ"となってそれ以上見ないようにしてしまうこと。拒否反応のようなものを示すこと、なんでかと思っていた。私はどうやらアウトプット側(できてるかはさておき、どちらかというとアウトプットしたい、という意味で。)の人間のようで、誰かの創作物を見たときに、自分の創作欲が刺激されるが、それを表現するために十分な状態じゃないと思うからなんだと思った。そんなこと、誰も期待していないのに。十分でないものはない、それで良いのに。でもアウトプットするには、当然インプットがなされていなければならない。と思う。(2023年6月10日) ********  私は「 LIFE」 が発売された当時から『ぼくらが旅に出る理由』がお気に入りだった。そういえば、父のDVや母の過保護など、それなりにしんどい子ども時代を過ごしたと自分では思っているが、そんな中でも車で毎年、どこかに旅行に連れて行ってくれたなあと思い出す時は車中の楽しかったことなどが蘇ることがある。楽しかった、と言っても乗り物酔いしやすい私が母の膝の上で(今なら考えられない危ない状態と思われる。)イカフライのお菓子を食べてしまって、ひどく嘔吐し、カセットデッキを壊してしまったこととか、後部座席で姉と座っていても高速道路ではこれでもかとスピードを出す父の運転が怖すぎて、どうせ死ぬなら寝ている間に気づかないうちにしてほしい、と寝て(気を失って?)いたこととか...。  そんな中聴いていた音楽だからか、記憶に残っている音楽がある。  2023年の2月に、初めて「犬は吠えるがキャラバンは進む」を聴いた。『天使たちのシーン』はその、高田みづえの『岬めぐり』を私に思い出させた。 ...

オチのないはなし 繰り返す轍

タイトル出典: パノラマ東京 by Pii  前回のブログから1週間ほどしか経っていないが、桜は満開を迎えて、朝晩の寒さも少しずつ和らいで、本格的な春らしくなってきたと思う。もう4月に入ってしまって、社会人は新生活が始まっている。学生はまだだけど。  転職して1年経った。まだ私は新人さんみたいなもんだしなーと思っていたけど、どうやらそう思い続けるのはさすがにダメな気がしてきた。そんな、「これが私の仕事だ」と強く思う域まで来ていない(あるいは、これは私のやりたいことではない、と判断するまで来ていない)状態ではあるが、1年という区切りがあるので、実際、現状どうか、ということを考えてみようと思った。  初めてPRの仕事をしてみて、この仕事をする前のPRのイメージとは少し違ったということがある。私のイメージしていたPRは、メディアを活用して、自分自身が企業のイメージを’よく’する(具体的にはそれぞれの企業の戦略によるところだが)とか、知名度を上げる、とかの目的を遂行するというものだった。例えば、PRパーソンが「テレビに出たり、雑誌に出てたり(エアプレイン by pizzicato five)」するような感じ。なので、PRパーソンは若かったり、かわい子ちゃんだったり、はたまたキャラの濃いおじさんだったり、子どもだったり、するものと思っていた(この私の考えが時代錯誤だと、大多数の人が思うような世の中になってほしいものだ)。業種にももちろんよるとは思うが、私のやっていることは、文章校正や取材対応である。どちらかいうと裏方である。最終的な目的は、上述のものと同じなのだろうけど。  少し飛躍するけど、この文章校正や取材対応って、大きく、すごく大きな枠で考えてみると、それまでやっていた研究の一部と重なるところがある。重なるところがあるからこそ、今の仕事に興味を持ったというところもある。研究は、一人ではできない(と私は思う)。そもそも、我々が豊かに生きていけることを目的としている。その中で、環境を保全することとか、何かを犠牲にしないようにとか、考えるということが大前提にあると思う(少なくともそうであってほしい)。研究を続けるには、人々に賛同してもらうことが必要なのだと思う。理解してもらうことが必要である。  転職を考えた時に、これまでの社会人としての人生で’上司’というものを好きになれた...

What I Learn from J

  突然だが、私にはモラハラ、ミゾジニー、ルッキズムという要素があることを自覚している。言い訳だが、私は昭和後期生まれであり、父のDVで辛い少女時代を過ごしたし、祖母が人の容姿を勝手に判断するのが日常茶飯事という三拍子(?)揃った環境で育った。私も大人になったのと、幸い、命に関わるような重大な事件を起こしたり巻き込まれたりすることなくここまで来たので、今、父や、祖母や、その他、私をモラハラ、ミソジニー、ルッキズムという三重苦に仕立て上げた「環境」に対して恨んだりするような気持ちは全くない。  ただ、そんな私なので、自己肯定感は低く、プライドは高く、結果、人とコミュニケーションを取るのがとても下手だ。なんだったら、人自体あまり好きじゃない、好きじゃないというわけじゃないとは思うが、コミュニケーションの取り方を学べなかった、学んでこなかったため、おそらく「人と人」という関係を築いたという体験がほとんどなく、今日まで来てしまったというところだろう。  J氏に出会って、10年近くなる。今振り返ってみれば、これまで色々あったが、はっきり言えることはJ氏のおかげで親との関係は改善したところもあるし、今日この話を書こうと思った程度には、私は人との出会いを大切にしているということに気づいた。 ********  先週か先々週か忘れたが、J氏が「友達が家族で日本に旅行に来る」と言った。私は、いつものように「ふ〜ん」と言ったと思う。その後もなんかごちゃごちゃ説明していたが、私はぜんぜん聞いてなかった。一昨日の土曜日、J氏が「友達が1人で会いに来るなら1人で行こうと思っていたけど、家族で来るみたいだから一緒にランチ行きましょう」と言ってきた。内心めんどくさいな〜と思いながら、行かない理由もないので行った。池袋に行くことになった。なぜか海外からの旅行者にとっても人気の高いTeamLabのイベントを、例外に漏れず、その家族も見に行っているようで、J氏が豊洲から1本で来られて、新宿や渋谷よりはテーブルを取りやすいという理由で選んだとのことだった。私が着くよりも先に、J氏はルミネのレストラン街に7人座れるテーブルを確保していた。 ********  無事家族が着いて、お昼ご飯を一緒に食べた。私はほとんど会話に入らずに(入れずに)聞いているだけだったが、どうやらその友達とは高校の時に出会っ...

もう間違いが無いことや もう隙を見せないやりとりには 嫌気が さし ち ま った

 2月中旬に、disk union吉祥寺店でオザケンのファースト『犬は吠えるがキャラバンは進む』 を30年(!?)ぶりにして、“は じ め て”手に取った日から、聴けば聴くほど細胞に染み込んでいくような、そんな感じがしています。本当は、1曲ずつ感想というか思いを綴りたいのですが、もうちょっとまだまとまらないので。 オザケンご本人による『犬は吠えるがキャラバンは進む』に言及したtweet  でも、6曲目の「カウボーイ疾走」を聴いていて、いつもこの部分(今日のブログのタイトル)が耳に入ってくるので、今日こそは、特にこの部分についてだけでも何か書いてみようと思った。  普段、曲を聴いていても積極的に歌詞を辿ったりしない(聴き初めは)。ある程度聴いて、この曲ほんとに好きだなーとなった時に、何唄ってはるんやろ、と思ってしっかり確認する。が、この曲のここの部分は、早い段階で耳にぱちーんと入ってきて、毎回しっかりsing alongするほどになってしまった。  いつも、小山田(敬称無しかい)が頭をよぎる。rockin' on JAPANで「上昇志向の人はやだ」みたいなこと話してた小山田(敬称つけてよ)やcorneliusとしてのファースト『THE FIRST QUESTION AWARD』での斜に構えた感じの歌詞を書いた小山田(敬称...)や昔のいじめのことが改めて問題視された時にうまい身の振り方がわからなかった小山田(敬称略)など...。 ********  2人がソロになった辺り、私はただの中学生だったので、それはもう2人の一挙手一投足は、私の世界の全て、くらい、私の世界は狭かった。2人やその2人を取り巻く人たちの情報はなんでも知りたいくらいに思っていた。その頃インターネットなんて日常じゃなかったので、情報を集めるのには限界があって、メインの情報源が rockin' on JAPANだったもので、私は2人の間に何かあったに違いないと憶測に憶測を深めてしまっていた。どうやら、その頃のよくない(と今はわかる)癖が残っているようだ。  (20年前も、去年も、結局私はメディアや人々の作る何か...ゴシップのようなものに踊らされていたのだと思う。) ********  オザケンよ、若くしてよくこのような歌詞を書いたなあ。しみじみ思う。  最近、昔ほど人に出会うのが怖くな...

ハッピーエンディング

  突然だが、今日、97年の6月に発売されたPizzicato Fiveの「ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド」のアルバムを聴いてみようと思い立って、聴いてみた。 タワーレコードのPizzicato Five/ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド のページ  このとき、私は高校3年だったらしいが、94年の「Overdose」、95年の「Romantique 96」がとっても好きだったので、も ちろん待望のニューアルバムだったしすぐに買って聴いたけど、私はPizzicato Fiveのmelodiousでjazzyなところが好きだったので、どちらかいうとドラムが多用されてエレクトリカルパレード的になりつつあったところとかHip Hop的な要素を多く取り入れた(あまり音楽について詳しくないので、間違っているかもしれません。)この作品は、サンプリングが繰り返し出るのとか、どちらかいうとちょっとうるさいな、という感じでそこまで好きになれなかった。  その結果、私のPizzicato Five熱は3年くらいで落ち着いてしまうことになるのだが...。  そんなことはどうでもよく、約26年ぶりに聴いてみて、思っていたほどうるさくなく楽しめてしまった。きっとあれからHip Hopとか聴くようになり、繰り返されるサンプリングをむしろ楽しく思うようになったり、懐かしさとかも相まってなのかもしれないけれど。  だから元々、このアルバムの最後から2つ目の曲、『私の人生、人生の夏』はメロディが綺麗で、まあまあ好きだった。でも実はKahimi Karieのヴァージョンの方が当時は好きだった。Kahimi Karieの唄い方を全然好きになれなかったけど、この曲は彼女の方が合っている気がしていた。それもそのはず、野宮さんはおそらくハッピーに唄うように、と小西さんに言われ...たかどうかはわからないけど、きっとそういうことなんじゃないかなと思っている。悲しいけど、ハッピーな曲調とか、そういうのを小西さんが当時、かそのあとか、どこかで話していたような気がする。全部適当な記憶だけど。その野宮さんのハッピーさ(と野宮さんの都会的な、あの、なんともいえない素敵な声)がこの曲には合っていない気がしていた。今思えば、このハッピーさがどうしようもなく悲しい感じがするのだけど。  またその当時、Kahim...

日記: 初めてのスギ花粉症(2023.03.12)

  私はこれまで春の花粉症には無縁だった。毎年、苦しんでいる人たちを横目に、アレルギーなくてよかった〜と思っていた物だった。しかし、今年。多摩地区に引っ越しして初めての初春(本格的に住み始めたのは4月)。2月中に同居人が咳き込んで鼻をずるずるさせ始めた。あー今年も来たのね、と呑気に思っていたら、3月に入り、私の目がうるうるし始めた。涙が止まらない。同僚によると、今年は花粉の量が3倍くらいで、新たに花粉症を発症する人もいるかもしれないので気をつけてとニュースで言っていた、とのことだ。ああ、ついに私にも来たのか、と思った。元々イネ科の花粉症も持っているし、そばアレルギーもあるので、驚くことではなかった。  それにしても、この1週間、本当に辛くて、今後のために書き記しておこうと思った。  まず、私は夜中がひどかった。寝始めて数時間経った午前1時とか2時とかあたりに、鼻が詰まって起きる、という。頭を起こしたら、風邪のときに鼻が詰まって頭まで詰まってうまく働かないように感じることがあるが、それと同じ感じがして、風邪を引いた?と焦るような。起きて、ティッシュで鼻をかむのだが、まず、かみ切れない。全くすっきりしない。それどころか、鼻に刺激を与えるのか、くしゃみが出始める。落ち着いて、再度寝ようとすると、高速で鼻から鼻水が流れてくるのを感じて寝転んでいられなくて、飛び起きる、というのを何回か繰り返す。体も冷えてきて、そのおかげなのか、症状が少し落ち着いて、いつかは寝られる、という感じであった。  何か、何かできることはないのか、と考えた。もちろん、なるべく外から花粉を入れないように、窓は極力開けていないし、空気清浄機も使っているし、花粉が飛んだとしてもキャッチするように加湿器も使っている。床はアルコールワイプで拭き掃除、掃除機はかけない。ベッドの上はコロコロで花粉を取る。これ以上何ができるのか...?  と考えて、鼻洗浄を導入した。公式のWebサイトの動画のように、鼻からターっと水は出てこなくて、鼻から出てきてしまったけど、直後からすごくすっきりした感じがあった。少し時間が経って、鼻から流れてくるのもあって、汚れが流れ出したように感じた。その夜は、もちろん寝る前から鼻の詰まりはあったが、夜中に苦しくて起きるということはなくなった。 鼻洗浄  早く花粉シーズン終わらないかな....

あぁ 昼も夜も 泣いてしまうよ 悲しさじゃないんだよ

 あなたから着く 文字列は 「不思議の国のアリス」みたいに読むパズル 引用: 小沢健二「運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)」  …今更ながら、本当に今更ながら、小沢健二の2017年以降の作品を少しずつ視聴している。TwitterもIGも利用しているようで、本人の言葉が聞けるのは、何でもかんでもインターネットで情報で情報を見失う現代に少々うんざりしている私でも嬉しいと思う。  オザケンを知ったのは、1994年。きっかけは、寝る前に暗くして布団の中で聞いていたAMラジオだったと思う。corneliusの「太陽は僕の敵」を聴いて衝撃を受けて(オザケンちゃうんかい)、その頃は情報源は雑誌しかなかったので、近くの本屋さんで音楽雑誌を立ち読みして、どうやらその人は少し前までフリッパーズギターというバンドを小沢健二という人と二人でやっていた、ということを知った。それがオザケンと私の出会い。  私はその頃、フリッパーズで言えば小山田派だったと思うし、ファッションや音楽性、雑誌のインタビューなどを読んでいても、うん、小山田だな、と思っていた。でも、同じく94年に出た「LIFE」は、私の"ちょっと待ってなんて知らない"感じで、私のその時の生活をガラッと変えてしまった。中学生なんてまだまだ子どもで、歌詞の意味もよくわからないのに、なんだったら少し気持ち悪いとすら思う歌詞もあったのに、それでも繰り返しCDをスタートさせて最後の最後まで大声で歌い続けずにはいられないようなアルバムだった。  私の主要軸はそれでもcorneliusであるべきと、思い込んでいたので、なぜか素直にオザケンを好き、と周囲に表明したことがなかったが、私はオザケンも好きだったのだ。今更ながら、だが、私の人生における本分はオザケンとともにあるべきだったような気がするのだ。  前置きが長い! ********  久々にオザケンの名前を聞いた。2017年のことか。ミュージックステーションに出ているのを、飛行機が遅れて待っていた成田か羽田の空港で観た。懐かしい、と嬉しくなったが、私をその世界に呼び戻すまでにはならなかった。  2021年、また名前を聞いたが、どうやらスキャンダル的なことが絡んでいるようだ。なので見ないようにした。  2022年、corneliusの昔のロッキンオンジャパンの記事が悪い意味...